彼女は天を突く勢いで嫉妬の炎を燃やしていた。 カバか馬のような大きな鼻の穴から鼻息が発生し、浮遊していた僅かな埃が荒い息と共に父親に吹き付けられた。 丸々としたフットボールのような膨らんだ顔は紅潮し、楕円の瞳は見開かれ、白いはずの眼球は血走っている。 縦に筋がいくつも走った真っ赤な唇は、まるで鱈の卵のようだ。 それなのにゴージャスな金の巻き毛は燦然と灯に輝いて、美しく振り乱されていた。 それでも彼女が可愛いと思えるのは、父親ゆえの愛情なのか。それとも過去の姿がそれほど愛らしかったのか。 ともかく父親は嫉妬に踊り狂う娘に対し、悲しいかな、ただ狼狽えることしかできなかった。 「こんなこと・・・!許せませんわ・・・・っ!!」 ビリィィィィィイィッッと彼女の両手に握られたシルクのハンカチが、無残に引き裂かれる。 可憐な刺繍が施され、みごとなレースがあしらわれた真っ白なハンカチは無残な姿となって絨毯に落ち、体格に似合わぬ小さな、可憐な足に踏みつぶされた。 「ジャン様は、私にふさわしい方なのに!私こそが、ジャン様にふさわしいのに・・・!!」 血走った目から、今度は涙があふれ出した。 悔しいと心底感じているのが分かる表情は、皺くちゃにつぶれていく。 「あんなどことも知れない娘になんて・・・っ!!」 怒りの矛先は、たった一人の女に向かう。 愛しいあの人に絡みつく害虫に。 気に入らないムッソギアーロが、あの麗しい人の周りを這いまわるなんて! なんという、許されざる蛮行だろうか。 「お父様・・・!!」 「お、おまえ・・・」 彼女は決意した。 父親を刺し貫くほどの眼差しで見つめ、彼女は粗ぶる思考をそのまま体で体現させた。 「お父様、わたくし・・・・手に入れて見せますわ!!どんな手を使ってもっ」 それは彼女の、決意の表明。 33 trentatre 「おっし、んじゃ、後は頼むね。イヴァンちゃん」 無事に商談は終わり、俺は肩から力を抜いてイヴァンの肩をたたいた。 もともとそんなに気をはる仕事じゃなかったし、終わってしまえばなんてことはない。 イヴァンも鼻で笑うくらいだしな。 「へっ、んなこと言われるまでもねーよ」 「ですよねー」 「ッテッメ・・・なんかムカつく!ファック!」 「ほっほっほ」 自信満々、チョロイ仕事だと言わんばかりのイヴァンに、俺は生温かい笑みを浮かべた。 実際簡単なもんなんだけどなー。こいつが自信満々鼻を高くしてるのを見るとこうなー、苛めたくなるっつーか、馬鹿にしたくなるっつーか、いじり倒したくなるっつーか。ハイどれも同じでした。 まあもちろん、そんな俺の態度にいちいち噛みつくイヴァン君が楽しい訳で。 今日も絶好調でございます。 じゃれあいもいつまでもしてられない。まだ他に仕事がある俺もイヴァンも、そこそこに終わらせて。イヴァンは自分の愛車のヴァルキリーちゃん。俺は排気激しいタクシーを待つために通りの陰に立った。 周りはイヴァンの兵隊たちが見てくれているから、俺らはのんびり待ちぼうけだ。 他人より自分の方を信じているイヴァンは気を張っているが、俺はイヴァンと兵隊たちを信じているので気を抜いていた。 「お前。あいつ・・・これからどうする気だよ」 ふと、イヴァンがそんなことを聞いてきた。 「あいつて・・・のことケ?」 「・・そーだよ」 確認のために聞き返せば、渋い顔で頷かれた。 どうも、なあ。 みんな揃って、なんであいつのことそんなに気にするのかね? おまえらだって顔を覚えてないくらい持ってるくせにさぁ。 たった一人に過剰しすぎやしないかいな? 「いやー俺も初めての部下だしーぃ?俺もまだまだお飾りだしねぇ。まあ、二人三脚で頑張っていこうと思ってますけども」 過保護なこいつらには正直辟易してきた。 おざなりに返せば、今度は怪訝な顔だ。 「お前、あいつにずいぶん執着してねーか?」 「そうケ?」 むしろ妙に絡むのはお前らじゃないの? 「・・・・・・・・・・・ホれたの、かよ・・・」 「・・・はいぃ?」 はいいいいいぃぃぃぃーーー??? 「え、ええ??ははは、いやー、なんか、笑えない冗談きいちゃったわー。イヴァンちゃんさむーイ。ぜーんぜん面白くなーいゾ」 まったくもって、なんでそんな話になるのかがワカリマセン。 なんでそんな思考回路してるのか、どうか愚かなワタクシめにも解るように説明して頂けると大変助かります。 なのにイヴァンはまた「チッ」っと舌打ちするだけ。 こらこら。君たちのボスはねー。そんなんじゃわかんないのよ。わかってるの? 惚れたも腫れたも、男にするわけないでしょうが。 イヴァンちゃんがむくれてる理由が、ママ、まったくわかりません。 「んもう。なーにスネてんのぉ?」 「誰がだボケっ!!」 あらやだ反抗期よ。 「まったく近頃のワカゾーは・・・」 多感なお年頃なんてもうとっくに過ぎたでしょー?いつまでもハイスクールの心を持ってないでちょうだいよ。 ってぇ・・・・・・俺ら、ガッコなんて上等なとこ、行ったことなかったわ・・・・ お手上げ、と肩をすくめて、ふと、通りの中でこっちに目を向けている気配に気がついた。 イヴァンも身構えて視線の先を向く。 こっちのことに気が付いているだろうに、視線の持ち主はあっさり俺らの目前へとやってきた。 「よう。色男」 ベストを着た、一見小奇麗な服装の男は、無精髭を生やした顎をなぞって軽口を吐いた。 木の幹のようなこげ茶の髪は、俺以上に締りがなく、だらしない。同じ色の目も、どうにも胡散臭さがにじみ出ていた。 見たところ、武器らしい武器は持ってない。 「・・・どちらさん?」 イヴァンが突っかかる前に制して、俺はそいつに尋ねた。 「誰だっていいだろ。あんたに会いたいって人がいるんだよ」 まあ。なんていう上等文句。 俺を知っていて言ってるなら、飛んだ命知らず? 相手が誰かは知らないが、言い寄ってくる奴は掃いて捨てるくらいいるし、喧嘩売ってくる奴も覚えてられないくらい、いる。 さて、こいつは一体どっちだろうな。 「・・悪いけど、アポ取ってからにしてくれる?」 なんにしても、ホイホイ着いていく理由はない。追い返す様に手を振れば、男はナンパに失敗した男のように肩をすくめて首を振った。 タクシーが一台、こっちに向かってくる。お、やあっと手配したのが来たわ。 周りにいた兵隊が男から離す為に近付き、イヴァンが懐の銃に手を添えている。 俺はその後ろでやってきたタクシーに乗り込んだ。 男をもう一度確認しようと振り向く。 突き飛ばされたのはすぐだった。 「こっちもそうしたいんだが、―――どうしてもってぇ、頼みで、ね」 「!」 後部座席に押し付け、のしかかって来たのは男だった。 後ろ手でドアが閉められるのより早くタクシーが後方に急発進、急旋回されたせいで体も頭も振り回される。 「一名様、ご案内」 意識がまっとうになる前に、男がぽそりと呟いた。 ファンク―ロ!! 口の端だけ上げて笑う男と、俺の女神がそっぽ向いていたことに悪態を吐く。 イヴァンたちがはなったんだろう発砲音が鳴り響くが、タクシーの速度は加速し続け。 俺は、攫われちまったのだった。 (なんてこったい) |