41 quarantuno










「ミートパイが食べたい」

目が覚めて閃きに近い欲求と空腹がサンドイッチになってやってきた。
そんな夢想につられて、ぐぅと腹の虫も幸福な夢でも見るかのようにため息を吐いた。
残念だがそれが叶うのは5分だぞ、と腹をさすって現実へ戻す。
不満げにぐぎゅるぅぅとまた鳴った腹に、自分もだよと撫で宥める。
ああ、ハラへった。


今日の朝食はなんだろーな?

って、期待を込めて食堂に入って。カウンターに並んで、凹んだ。

酷い顔になってたと思う。うん。
下唇がめくれて、下顎と眉間にしわが寄って、口の端と眉毛が下がりきった感じの顔。たぶんそんな感じになった。

だって、パイどころか、麦が、形にすらなってなかった。
オートミールだった。
ミルクが皿いっぱいになみなみ注がれた、真っ白い、飲み物なのか食べ物なのかいまいちわかりかねる献立だった。
いや、違う。オートミールは別に嫌いじゃない。
気分だったら喜んで食べた。
でも今日は違うんだ。どっしり胃にくるくらい重いものを朝からかぶり付きたい気分だったんだ。
献立に罪はない。
腹の気分と食い違ったのは仕方ない。
言い聞かせる自分の虚しいことよ。

なんとかオートミール腹になってくれないかと腹へ説得を試みたが、腹はぐぅるるる嫌だ。肉がいい。ひき肉だぐるぉん。せめてステーキぎゅるぎゅるると、さらに難題をふっかけて駄々をこねだす。

こっちが唸りたい。

・・・・・・ああ。どうしたもんだか。

列から外れて考えること、瞬き1回。

「あの・・・ミスター」

ダメ元で、いかつい顔の目付きも悪い、ここのコックに声を掛けた。

「キッチンのすみっこと、冷蔵庫の中身少しだけ、もらってもいいかな?」

それを聞いたコックは、人でもこれから木棒でたたきつぶしてこねるんじゃないかって物騒な顔をして見下ろしてきた。

「何をする気だ?」
「・・・・あの、・・・・・いつも作ってくれる人に、言うの・・・・・マジ、申し訳ないんだけど
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ミートパイが食べたくて」

ゴニョゴニョ口ごもったそれをきちんと聞き取れたらしいコックは、さらにそのコワモテを進化させた。

が、それも一瞬で。

「テメェで作るなら、勝手にしろ」

あっさりと承諾してくれた。
言ってみるもんだ。
ありがたや。


こうなったら作業は早いし、気分はウナギのぼりだ。
ミンチと玉ねぎと芋と調味料とパイ生地を貰って早速作業に取り掛かった。
パイ生地があったのはクロワッサンを焼いていたからだ。焼く前の生地を貰えることができた。
・・・・ん?それじゃパン生地か?

細かいことは気にしないで、材料を切って混ぜて、手ごろなサイズに作っていく。芋はマッシュポテトにしつ半分肉と混ぜ、もう片方はそのまま食べた。さらっとかけたバルサミコ酢と混ぜるとウメエ。
パイ皿まるまるホール食いといきたいが、焼けるのに時間がかかるので三口位で食べれるサイズをいくつも作ってオーブンプレートへ。そしてもらう前から火を点けて温めていたオーブンへ。

出来上がるのが楽しみすぎてよだれが口の中に溢れる。
高温のオーブンの前に座って、セルフサービスのコーヒーを失敬して待つことどれくらいか。
いい匂いがしてからもう10分位待ってオーブンを開ければ、胃と鼻が歓喜の雄叫びを上げた。
こんがり狐色に焼けた、肉汁がこぼれた割れ目がなんとも愛しい。
あっつあつの火傷しそうなできたてに噛り付き、口のなかいっぱいに膨らむ味と食感。
これが楽園だと、人生が最高だと感じるこの瞬間が好きすぎて辛い。
大皿に移して、貸して貰ったことに礼を言ってから、移動した。
食堂で食べることにした。
腹がはち切れるくらい作ったミートパイを眺めて、1個目を胃に落としてから2個目を手に取る。
そして誰かの手が、もう1個、ミートパイを掴んで持っていった。

「あぁ!!」
「あん?」

嗜好のパイが!!
泣きそうなのと怒りが同時に襲って非難の声が飛び出る。
パイを持つ手の延長線にあった顔は、盗人の正体は、イヴァンだった。

「人の物とってんじゃねーよ!」とか、「自分の分くらい取りにいけよ!」とか、色々頭をめぐったが、最終的に涙が出るほどの悲しさしか残らなかった。

噛り付いた口の中に消えていくミートパイが、全部目の前の男にかっさらわれたのを見て、自分でも引くほど簡単に涙が溢れて流れた。

声もなく泣くこちらを見て、イヴァンがぎょっとする。

「―――――――――――オレの、みーとぱい・・・・・」

美味しく作ったミートパイが。
腹がはち切れるばかりに、自分のために作ったミートパイが。
掠め取られて消えてった・・・・・

「おぃ・・・・」

なんでこんなに悲しいのか謎だが、泣けるものはどうしようもなかった。
しくしく泣いていると、前から「なんで泣くんだよアホか」「そんなに好物なら作らせればいいだろうが」「おら、まだたくさんあんだろ。取ったりしねえから」と段々弱くなる声が掛けられて。

「何、泣かせてんの?」

別の方向から冷たいけど柔らかい声が落ちた。

「シロート童貞で女の子の機微が欠けらもわからない、男の中のクズのイヴァンちゃーん?なーんで泣かせたのかなー?」
「俺はそこのパイ食っただけだっ
つーかっ」
「はーぁ?怒鳴るとかありえなーい」

ジャンとイヴァンのやりとりは聞こえているんだが、なんだか動きたい気分じゃない。

?」

ひらひら白い手が目の前に振られて、ようやくのろのろと顔を上げた。
キラキラの金の髪と、それよりも濃い金の目。
溶けた飴玉みたいな目がこっちを見ていて。
ホロホロ泣くこっちを見て、蜂蜜みたいに溶けた。

「ほーら、アーン」

出されたパイをはく、と口に入れる。

もぐもぐ、もぐもぐ。口だけ動かして、白い手からパイを受け取って、口のなかいっぱいパイで埋めた。

「おいし?」

聞かれたので、こくこく頷いて返事する。パイを咀嚼するために声は出せなかった。
ちらとジャンを見る。
ジャンは目を細めて、頭を撫でてきた。
ガキあやすみたいな優しい手つきで、安心してしまう。


「お、うまそうだな。一つもらうぞ」


また唐突に、4人目の手がミートパイを掴み取っていった。


「あ」
「あ」

「あ?」


ルキーノの大口に吸い込まれたパイを見て、引っ込んできていた涙がまた堰切って流れだした。
オロオロ狼狽えるような男たちに慰められて、涙がようやく止まるには、まだ時間がかかりそうだった。











(こんな涙腺ゆるかったかなあ・・・?)



食べ物にはこらえ性がないようです。
2013.8.29