そこはまるで、楽園のようだった。 「おはようございます。キラ」 「うん・・・おはよう。ラクス」 『てやんでぃっ』 目の前で穏やかに笑う女の子へ、僕は身体を横たえさせたまま挨拶をした。 そして視線を今いる部屋や、その先の庭へと移して、僕は、確かめるようにゆっくりと瞬きを繰り返す。 変わらない。 目が覚めてからずっと。 整えられた空調。 管理された天候。 設定された環境。 あの頃と違う、変わってしまった生活。 日の光だけが時間を告げる、穏やかな世界。 今まで自分がいた世界が嘘のような、真逆の空間。 望んでいた場所。 願っていた世界。 でも、ほんの少し違う場所。 「キラ、お茶が入りましたわ」 「うん。ありがとう・・」 彼女――ラクスのお気に入りの庭の中央にあるテラスへ招かれて、彼女に接待されるまま、僕はティーカップへ手を伸ばした。 僕の記憶は、アスランと戦い、死んだと思ったあの日で止まっていた。 一瞬の白光の世界の後に現れた、一生続くと思った真っ黒な世界は呆気なく終わって、次に目が覚めた時、僕はこのクライン邸にいた。 どうしてここにいるのかも、どうして生き残れたのかも、僕にはわからない。 僕をここまで連れてきてくれたというマルキオ導師という人は、僕を「SEEDを持つもの」と言っていたけれど、そんなもの僕にはわからない。 でも、僕が本当に求めているのは、助かった経緯とか、今ここにいることとか、そういうことじゃない。 どうして、僕はこの世界にいるんだろうって・・・・・ そればかり、頭をぐるぐると廻って落ちてくる。 ラクスの入れてくれたお茶を飲む。何の葉っぱかは知らないけど、とてもやさしい味だった。 僕が今、感じたくない気持ちだった。 約束を守れなかった僕が、得られるものと思えなくて。 それでも、僕の役目は終わってしまった。 アークエンジェルはパナマへたどり着いたと聞かされた。 『ストライク』も、もう無い。 戻ったところで、僕にできることなんて無かった。 気が抜けた僕へ、ラクスは優しかった。 いつまでもここにいていいと。キラが帰りたくなったらいつでも送り帰すと言ってくれた。 けれど、傷が良くなってすぐに、戦争は苛烈さを増していって、地球に帰ることが困難になってしまった。 ラクスは「キラがまだいて下さってとても嬉しいですけれど、帰れなくなってしまってとても複雑ですわ」と困った風に言った。 僕は、よくわからなかった。ひょっとしたら、ほっとしたのかもしれない。 の下に帰りたいって気持ちはある。でも、の前で誓った約束を果たせなかった罪悪感が、大切な友達を失ってしまった悲しさが、憎しみを抱いたことが、僕を動かなくさせる。 それに、本当に僕が帰って、みんなが迎え入れてくれるんだろうか。 こんな、人殺しになった僕を。 そうして、何もすることがなくなったせいか、考えることが多くなった。 今までしてきたこと。 僕は一体、何と戦っていたのか。 ただただ帰りたい一心で、ずっと戦っていた。 追いかけてくるザフトの中にアスランがいて、戦うことがどうしても納得できなかった。 それでも、本気で攻めてくる敵に必死で戦うしかなかった。 救援を求めた人に拒絶されて、また後が無くなった。 守らなきゃいけないんだって、追い詰められて戦った。 救援に来てくれた人はアークエンジェルを守るためにみんな破壊されて、フレイの心を守ることができなかった。 頑張ったのに、報われなくて。それでも必死で戦って。 心をすり減らしているのに、自分自身気付かなかった。 自分が何をしているのかが、分からなくなった。 僕は、みんなと帰りたかっただけだったはずなのに。 それなのに、やっていることは矛盾して。叶わなくて。 意味が分からなくなって。 敵って・・・・何なんだろう。 襲ってくるものが、敵なの? 今まで僕が守っていたものって、何? 「何と戦わなければならないのか。戦争は難しいですわね」 呟いたラクスの言葉。その言葉が引っかかった。 戦争。どうして戦争が起こるんだろう。 みんな、誰だって、傷付きたくないのに、どうして傷付けるんだろう。 なんで、分かり合えないんだろう。人が人であり続ける限り、それは変わらないものなんだろうか。 その答えが見つからないまま、パナマへの攻撃が始まると知らされて、ずっと静寂を保っていられた心が暴れだす。 もう戦わなくていいはずなのに。 休んでいいと言われてほっとしたのに。 もう戦う術なんて持ってないのに。 それなのに、僕は、守らなきゃって。戦わなくちゃって。 何のために? 何を守るの? 僕は・・・・僕が今まで守ってきたものは・・・・ 僕が守っていたものは、―――――――僕自身の心だ。 そして、これは僕の願いだ。 もう誰も死んでほしくない。 殺すことも殺されることも見たくない。 もしもその為に力が必要なのなら、僕はためらわない。 「僕は、行くよ」 知らず流れた涙が、僕の戒めを解いてくれた。 その日は朝から騒々しかった。 アストレイの調整作業中にシモンズさんが呼び出されて、その後パイロットクルーもどこかへ連れ立って行ってしまった。 一体何だ?と俺は首をひねったが、他の人は何かを察したらしく、厳しい顔をしはじめた。そして、急に俺への態度がよそよそしくなる。 「君。悪いけれど出て行っててもらえるかしら?」 「え?」 戻ってきたなり言うシモンズさんに、俺はただ戸惑うしかなかった。 どういうことかと訊ねると、シモンズさんは厳しい顔のまま言った。 「戦闘が始まるのよ」 ぎくりと体が硬くなる。言われた言葉の意味じゃなくて、それがシモンズさんの雰囲気によるものからきたものだった。 いつもの、少し意地悪な先生みたいな雰囲気はどこにもない。 「だから貴方は邪魔。むしろ、実家に帰る頃合じゃないかしら」 動けなくなった俺に、シモンズさんはそう言い捨てて作業へと向かっていった。 耳に入ったはずの言葉が、俺の中で何も響かない。 なんて役立たずで弱いんだろうか。そう自分を悔やんだのは、無意識に戻っていた自分の部屋でストライクに呼びかけられてからだった。 『私ハ帰宅ヲ推奨シマス』 話を聞いたストライクは、俺へそう進言した。 その答えを聞いて苛立っていくのが分かる。俺はこれからの自分の行動を肯定してほしくて説明したはずなのに。 「なんでだよ」 俺のあからさまの態度にも理解しているだろうに、ストライクは淡々としていた。そりゃ当然か。機械だもんな。俺のレベルで感情を表現できる訳がない。 『マスタ ハ一般市民デス。ソノ様ナ立場デ軍事ニ関係スルナドアリエナイ。戦争ナラナオ』 説明は、どこにも口を挟めるようなところはなかった。 そう。ストライクの言うことは、分かっている。正しいって。 分かっているけど。だけど俺はそんなことが聞きたいんじゃない。 俺がしたいのは。 「!!」 悩み思考している時に、カガリが部屋へ入ってきた。 座っている俺とストライクを見比べて、近寄ってくる。 「何してるんだ。初発のバスはもう出てしまったぞ」 そんなことを言ってくる。 俺はあからさまに顔をゆがめてカガリから視線をそらした。 この人もそんなことを言うのか。と失望する。 「」 けどカガリさんは俺を立たせようと腕を掴んできた。 そこにはただ善意だけしかない。分かってる。 だけど俺にとってその腕はたまらなく神経を逆撫でた。そして衝動のままその手を振り払った。 「俺は、ここに残る」 カガリを睨みつけて、言った。 何があっても曲げない。俺は、ここにいるんだ。 家でも、学校でもない、 その意味があるはずなんだ。だってキラはまた帰ってきた。だったら俺の役目があるはずだ。 「・・・・・・ダメだ」 カガリが意外そうな、納得したような声で俺を呼ぶ。だけどすぐに否定の言葉が投げられて、俺はカガリに食って掛かった。 「なんでだよ!!キラも、カガリさんだって残るんだろう!だったら俺も残るっ」 「ダメだ!そんなこと、私もキラも許さない!望んでない!お前は家に帰るんだ!」 「俺の意思は無視するのか!!」 「ああそうだ!」 カガリの剣幕が俺を突き刺す。だけど、そんなことで俺は倒れない。 殴りかかる勢いでカガリさんの胸倉を掴んだ。カガリさんもまったくひるまない。 「ふざけんな!!あんたにそんなことを言う権利があるのかよ!」 「お前に何ができる!!」 今まで聞いた中で一番の怒声に、耳がくらんだ。ひるんだ俺を今度はカガリさんが跳ね除け、俺の顔を挟み込む。 真正面で俺とカガリさんの目が合い、きつく睨んでいたカガリさんの目が今にも泣きそうになる。 その表情はさすがに予想していなくて、俺はさらにたじろいだ。 「私にはお前の気持ちが良く分かる。私だって、お前の立場ならどんなことをしたってここに残ろうとしただろうさ」 「っだったら」 「だけど!お前は知らないんだ。戦場がどういうものなのか!どんなに理不尽なのか」 顔を挟むカガリさんの手が震えている。その手は強く掴み、でも、痛みはない。 「私は、お前がそんなものに巻きこまれるのは絶対にイヤだ」 その声音が、どこかで聞いたことがある気がした。そう思ったのは一瞬で、すぐに言い様のない感情がわいて来る。 なんで俺の気持ちがないがしろにされるんだ。 「巻きこむ?」 白々しい。俺は吐き捨てた。 「巻き込むって何だよ。今まで散々内輪を見せて中に入れて、それで巻き込みたくないなんて、よく言えるな」 「きっかけを作ったのは私だ。だが、今はするべきではなかったと思ってる」 そうだ。これはあんたのせいだ。そして俺自身の選択だ。 「いまさら遅い。戦って、守って。そのための作業を、俺はここでしてきた」 否定させるか。今まで自分がしてきたことを。俺の理由を。 なのに、 「戦うことは、お前の仕事じゃない。それは、軍人の仕事だ」 カガリさんはそれを許さなかった。 「お前はここに、必要ない」 完全な拒絶だ。シモンズさんの時にも感じた疎外感。異物感。 「話にならない。俺は絶対残るからな」 「!」 カガリさんの手を振り払って、俺は部屋を飛び出そうと振り返った。 ここにいれば別の奴らが俺を追い出しにかかるだろう。だったら場所を移して居座ってやる。 「ダメだよ」 なのに、また俺の邪魔をする。 今度は、一体いつからそこにいたのか。入り口に立っていたキラだった。 「どけよ」 「ストライク、荷物を」 『了解』 俺を無視して、キラはストライクへ指示を出す。ストライクはそれにしたがって俺の荷物を持って外へ出た。 「おいストライク、何してっ」 慌てて追いかけた俺の肩を掴む。振り返ればそれはキサカさんだった。 「俺は子守係じゃないんだがな」 「すみません。お願いします」 俺が反抗する前にキサカさんは俺を担ぎ上げ、拘束した。 急いでもがいてもその腕から抜け出すことができない。 くそっ!キラの奴俺の思考の先回りしてやがった! 「ふざけんな!離せっ」 「カガリ並に面倒な奴だな」 何とか抜け出そうと暴れ続ける。 キサカさんはそんなこと何とでもないのか平然と歩き始めた。 嫌だ。何で。 「俺は言ったぞ!お前の傍にいるって」 キサカさんの後ろをついてくるキラへ向かって、俺は言い放った。 キラが俺を見上げてくる。その目は今まで見た記憶の中で一番冷たい、向けられたことのない表情だった。 「何言ってるの?」 本当に分からない子だね。とその目が語りかけてくる。 体が底冷えするその眼差しが痛い。 「人の想いに、何の意味があるの?」 「な・・・ん」 声が出ない。絶句するって、こういうことか。 「力もないのに、何かができるなんてうぬぼれないで」 頭が真っ白になる。それが悲しいからなのか、心底腹が立ったからなのか、分からない。 さっきっから、俺の頭はなんでばっかりだ。 分からないことが、腹が立つ。 抗えない自分が、忌々しい。 「っうぬぼれてねぇ!!離せ!」 力任せに片足を上げて膝蹴りの要領で振り下ろした。 だけど、それは読まれていたのかすぐに両脚を固定されてままならなくなる。 殴ってもびくともしない。 そしてついに俺は、停泊バスではなく、その隣に止まっていた乗用車に乗せられ、乗車していた兵に拘束された。 そこまでやるか!? 隙があったらすぐに飛び出す気でいたが、これではかなわない。 「出してください」 キラの無情な指示によってバスと車が発進する。 車はぐんぐん速度を出し、バスを突き放して軍港を出ようとしている。 明らかに、俺への対応だ。みんな。何もかも。俺を付き帰すための。 拘束されつつも窓にすがり付いて、俺は遠ざかっていくキラを睨みつけた。 視界がにじんでいく気がしたが、気のせいだ。速度が速いからぶれるだけだ。 「っっ―――――!!」 耐え切れない感情の爆発に、俺は拳をドアへ叩きつけた。 この日の明朝。連邦とのオーブ海域戦が勃発した。 オーブの命運が決まった日。 そして、その戦いの末、ウズミ・ナラ・アスハ代表議長以下オーブの重鎮が、オノゴロの地下軍事基地施設共々自爆。 すべてをアークエンジェルへ託したかの様に、この世を去った。 |