考えたことがなかった。 目の前の、マヌケで、世話が焼けて、甘え上手な兄貴の考えなんてお見通し。 一番近くにいるって思っていた。 それがうぬぼれだったなんて。 それが錯覚なんだって。 考えたことなんて、なかったんだ。 リビングでぼんやりしている俺のところに、また遊びに来たアスランがやってきた。 無視して近くで俺を見守っている、ストライクの頭部についた埃を拭いてやっていると、そいつは部屋を見回した後に俺へ目を向けた。 「?キラはどうした」 「ラクスさんと出掛けたよ」 予想通りの言葉に、俺は相手を見ないで答える。 アスランは「そうか・・・」と呟いて、少し心配そうにしていたけど、結局俺の向かいに座った。 気の利くストライクが、アスランへお茶を差し出す。 アスランが礼を言うと、またストライクは俺の傍に戻って、また外の静かな喧騒しか聞こえなくなった。 今日もまだ落ち込んでいるキラを励ましにアスランが連れて来た人は、歌姫としても有名なラクス・クラインさんだった。 一緒に戦い、キラたちを援助してくれていただけでなく、前線に立って司令官として立っていたというのだから、メディアで取り上げられたラクスさんしか知らない俺は、なんてアクティブな人だと驚いた。 それなのに、初対面の時は間違いなく「やさしいお姫さま」だったんだから、この人はかなり底が深い。と思った。 敵に回したら一番厄介かもしれない。 そんなラクスさんは、初対面の俺が見ても分かるくらい、キラのことを想っていた。 ラクスさんは誰よりも穏やかに、包むみたいにキラに接していて、キラも今までで一番穏やかに対応してた。 二人が寄り添って出て行くときは似合いのカップルだな、なんて思うくらい。 いつだって微笑みかけて、嫌なことを忘れさせてくれる人。 そんな人が傍にいるなら、キラはきっと大丈夫だろう。 きっとこれからも。 「なぁ」 「ん?」 間にあるテーブルに目を向けたまま、俺はアスランに声をかけた。 アスランは普通に返してくる。 「軍って、どういうところだった?」 そして俺の問いに、少しだけ目を見開いた。 「どうした急に」 「いいから」 かがんでこちらを伺うアスランから顔を背けて、先を促す。 アスランは深く追求せず、自分の体験談を話していった。 入隊するまでの経緯。 仕官生の頃の事。 軍人として初めて行った作戦。 昨日まで笑いあっていた仲間が死んでいった悲しみ。 理不尽な状況にたっても逆らえない苦痛。 それでも自分を貫こうとした苦痛。 その後は話が脱線して、アスランの視点の話が語られた。 そんなどうでもいい話は耳をすり抜けて、聞いた話を反芻する。 だけど、どんなに想像してみてもすり抜けていく。 「やっぱ、わからないな。知らないから、どうとも思えない」 呟いて、俺は話を止めたアスランを置いて部屋を出た。 アスランが俺を引き止めるけど、俺はそのまま歩みを止めず窓の外を指す。 外はパラパラと雨が降っていた。たぶんキラとラクスさんは立ち往生しているだろう。 「俺も行こう」とアスランもついて来たから、二人分の傘を押し付けて外を出た。 どこに行ったのかは聞いていたから、その場所へまっすぐ向かう。 そして予測通り、かなり早くに二人を見つけることが出来た。 モールの一角にあるカフェで雨宿りしていた二人を見つけると、ラクスさんが朗らかに笑い、キラは俺へとまっすぐに抱きついてきた。 主人を見つけた犬の笑顔は、まだ硬いままだ。感情をどう出せばいいのか忘れた声で「」と嬉しそうに呼ばれ、俺は苦い気持ちのまま、肩を落としてキラの背中を何度か叩いてあやした。 四人で帰り道を歩く。 わざと後ろを歩く俺を気にしてキラがちらちらと見てくるが、アスランがキラを促して先に進ませていた。 そして変わりにラクスさんが俺の横に並ぶ。 「キラの傍にいなくていいんですか?」 何気なくそう訊ねると、ラクスさんはやっぱり穏やかに笑みを作る。 人によっては安心する笑顔なんだろうけど、俺には、まるで見透かされているような気分にさせられる笑みだ。 「こそ、キラに付いていなくてよろしいのですか?」 聞き返してくるのは卑怯だ。 俯く俺をどう思ったのか、ただラクスさんは横に並んだままでいる。 「俺は、キラにとって癒しになっても力にはなれないから」 「癒すことができるのならば良いではないですか。今のキラに必要なのは休息ですから」 それはわかっている。誰が見てもぼろぼろの今のキラには、何よりも必要なことなんだろう。 だけど俺はわがままだ。 「ちゃんと聞けてないんです。キラの気持ち」 「気持ち?」 「戦っていたときの悲しさ、苦しさ。俺は一言も聞けてない。前は、なんだって話してくれたのに」 変化は2度目のオノゴロだった。あそこから、キラは俺から遠ざかった。 何も話さなくなった。 そのことが、こんなにショックを受けるものになるなんて思わなかった。 「俺は、キラの立ち上がる力になって、支え続ける。そういう存在になりたかったんだ」 ずっとそうやってキラといた。いや、そう錯覚していただけかもしれない。 キラの半分を背負えているんだと思っていた。だけどそんなもの、どこにもなかった。 俺は、ガキだった。 い続けたかった場所は、ただの幻だった。 「人は、自分を子供だったと認めたときに、大人へと変わってゆくのだと思います」 俺の言葉に、ラクスさんは少し間を置いて言葉を発した。 「痛みを知らない人が他人に優しくなれないように。小さな傷を抱えて、人は成長していくのだとわたくしは思いますわ」 だからあなたも。と言われて、目を瞬く。 そうなのだろうか? 俺はちゃんと成長しているんだろうか? 成長できるんだろうか。 俺の望みを、かなえられるくらいに。 「やはり、御兄弟なのですね。戦うことを決意した時のキラも、そんな顔をしておりましたわ」 ラクスさんが笑む。 俺は、自分がどんな表情をしているのかと顔に触れてみた。 いつもと変わらないように思う。 だけどとても誇らしく笑うラクスさんの目には、俺の決意した顔が写っているんだろう。 キラも、何かを越えていったのだろうか。 そして、この人はその瞬間を見たのだろうか。 だからこそ、この人はキラを選んだんだろうか? 「甘えたで、弱虫だって思ってたけどな」 信じられなくて、俺は苦笑した。 目の前を歩くキラは、とても頼りない。 「貴方の視点ではそう見えるのですね」 俺の視点。 「わたくしには、とても強い方に見えました」 そう言われて、初めて疑問に思った。 ラクスさんには、キラはどう写っているんだろう。 カガリさんには、どう写っているんだろう。 アスランには。母さんには。父さんには。 人の数と同じくらい、違うキラがいるんだろうか。 そう思うと、本当に俺はキラのことを知らないことになる。 「そう・・・・ですか」 思考に囚われて俯く。そんな俺を見つめる穏やかな目は、変わらず隣を歩く。 この人はちゃんと、キラの本質が見えているんだろうか。 俺のことも、ひょっとしたらわかっているのかもしれない。 そんなことを思ってしまうほど、この人は俺の知る人の中で『大人』に感じた。 「キラをよろしくお願いします」 この人になら、きっとキラを預けられる。 俺の言葉に、ラクスさんは少し息を飲んで、でもすぐに元に戻った。 「きっと、貴方の代わりは勤まりませんわ」 ラクスさんの言葉に首を振る。 「俺じゃなくていいんですよ」 俺はあいつにとって役に立たなくても、それでも少しくらい、自惚れていたい。 俺は、キラの中で誰の代わりにもならないんだって。 俺の中のキラが、そうであるように。 「あいつはもっと色んな人と関わったほうがいい」 そして俺も、もっと知るものがあるんだ。 「あいつを支えてくれるたくさんの人と」 一人で歩きぬける力をつけないといけないんだ。 もう、泣きたくない。 後悔して、情けなくて泣くような。 間違いのまま気付かずに、すべてを台無しにして泣くことも絶対にしたくない。 だから。 「俺、プラントへ行こうと思ってる」 父さんと母さんをテーブルごしに挟んで、俺はこれからの希望を打ち明けた。 二人はしばらく目を見開き、やがて父さんから寂し気な笑みが浮かんだ。 「プラントの学校へ?私達は構わないが、どうして」 「世界を、知りたいんだ。俺には知らないことが多すぎる。だから環境を変えて、いろんな視点で見てみたい」 言って、俺は希望校の手続きを差し出した。 その場所を見たとたん、母さんたちは驚き、泣きそうに顔を歪ませて、それでもまた表情を整えて俺を見つめた。 ああ。今度は俺が、母さんたちを苦しませることになるんだ。 「ごめん」 「何を謝るの。あなたが決めたことなら、私達は支持するわ」 母さんの言葉に、また胸が痛くなる。 でも、変えたくない。 俺を尊重してくれる母さんたちに、本当に頭が上がらなかった。 「ありがとう」と言うと、母さんは俺を抱きしめてくる。それがこの人の俺への愛情なんだ。 腕の強さも苦しさも受けとめて、俺は父さんを見つめた。 「キラには言ったのか?」 「これから言おうと思ってる」 「説得はできるか?」 「五分・・・かな」 いや。絶対に反対するに決まってる。だから、あいつには嘘を言うと決めていた。 リビングから出て、まっすぐキラの部屋へ向かう。 あいつは最近、食事とか、人に連れられて外出とか、そういうことがない限り部屋にこもったままだ。 決意を固めて、扉をノックする。中の返事に扉を開けると、キラはまた嬉しそうに笑って迎えた。 「キラ、話があるんだ」 「なあに?」 笑ってるキラを見ていると、苦しくなってくる。 だけどこれは、罪悪感からなんかじゃない。 「俺、家を出る」 俺の言葉に、キラが息をのんだ。 目を見開いて、瞬きして。 ゆっくりと開いた時、冗談を聞かされて無理やり笑ったみたいな顔になる。 だけど、キラからの返事はない。 「プラントへ行く」 もう一度、俺はそう言った。 目元が歪んで、キラが首を横に振る。 「どう・・・・・して」 「俺のやりたいことが、向こうにあるんだ」 絞り出した声に、はっきりと答える。 「どうして!!?」 キラの体が体当たりしてきた。両肩の袖を掴んですがってくる。 同じ目線のキラが、すごく小さく見えた。 「やっと一緒にいられるようになったんだよ!?もう、離れなくてもいいのにっ」 ぼろぼろ泣いて、なりふり構わずすがりついてきて。 それでやっと、こいつはちゃんと俺を支えにしてたんだってわかる。 だけど、俺は、慰めのためにいるんじゃない。 俺ができるのは。 俺の居たい位置は。 涙で濡れたキラの紫の目が見開かれる。 眼前のキラの顔を、俺は容赦なくひっぱたいた。 「なんで、なんでずっとそうなんだよ」 キラの顔が歪む。横に首を振って、聞きたくないと駄々をこねる子供みたいだ。 「俺は、お前がちゃんと前みたいに戻ってくれたら、いいと思ってた。 そのためになるんなら、俺は、お前の望むようにいたさ」 いや、たぶんどうなっても、これは変わらなかったんじゃないかって思う。 キラがキラのままで帰ってこなかった。その時から。 俺を突き放したあの時から。 「でも、俺はそれじゃいやなんだ」 元のキラに戻ってほしい。 何でもなかったあの頃に戻りたい。 それが無理でも、取り戻したいって思うのは、いいだろう? 情けないキラは、俺から目をそらすこともできずに、目をはらして。 本当に、しょうもない。 どうして俺は、こんな奴が好きなんだろう。 こんな情けない奴の。 「役立たずはいやなんだ」 だけど 「俺はっ!お前の隣に立っていたいんだ!!」 傍にいたいって願っているのは、俺のほうなんだ。 キラの目が、茫然と俺を見ている。 前にも似たようなことを言った。 今のキラは、それを覚えているだろうか。 ちゃんと意味を、理解してくれているだろうか。 「俺は、お前の情けない姿なんか見てたくない。 馬鹿面で、へらへらして、それでもいざという時はちゃんと立ってる。そういう奴の隣にいたいってずっと思ってた!」 俺は、空回りしていないだろうか。 「だけど、今のままでいたら、絶対にダメなんだ」 押しつけていないだろうか。 「きっと、いつか、ダメになる」 これを、本当の別れにしたくない。 いつか、俺はキラのもとに戻る。 願いじゃなくて、目標だから。 どんなことがあっても一緒にいられる強さを持ちたいから。 「・・・・?」 俺にとって、キラは誰よりも何よりも大きい。 そんな存在を失うことは、しない。 だから。 「さよなら。兄貴」 俺は、こいつと決別した。 |