―――お兄ちゃん いつも遠くで声がする。 ―――お兄ちゃん 甘くて、愛しい、俺の大切な人の声が。 目を開ければ、微笑んで、とても幸せそうに笑っている。 この笑顔を、俺はずっと近くで見続けて。 ずっと守っていた。 色んなわがままを聞いてやった気がする。 どんなに困った用件でも、結局俺は折れて、甘やかしてた。 時々父さんに呆れられて、でも父さんも甘くて。 母さんは揃って甘やかす俺達へ溜息を吐く。 あいつは自分の立ち位置が分かっているから、可愛く舌出して免れたりして。 幸せだった。 なんて考えなくてもよかった。 ずっと満たされていた。 少しの快感も、充足感も、些細な不幸もスパイス程度で、俺は何も考えなくてよかった。 ずっとそこにあったから、考える必要なんてなかった。 求めなくてもよかったんだ。 なのに。終わる。 終わってしまった。 俺の世界は、俺を置いて何もかも崩れ落ちた。 「―――――――――っっ!!!!!」 最悪な目覚めに飛び起きて、覚醒したと分かるまで俺は目を見開いて呼吸を荒げた。 暗い部屋と白いシーツが目に飛び込んでくれば、だんだんと息も整ってくる。 あまりスプリングの効かない、固いベッド。 ざらついて粘つく口の中。 べたべたして気持ち悪い身体。 汗をかいていると気付いて、俺はシャワーブースに駆け込んだ。 熱い湯を被った後に、冷たい水で身体を痛めつける。 手の震えが止まらない。 俺は無駄にコックをひねって水と熱湯を繰り返した。 身体は熱を放散し、洞穴を誰かに作られてるみたいにいつまでも痛い。 終わらない。 いつまでたっても。 俺の苦しみが、なくならない。 昼前から持て余した眠気に誘われて、俺は「くあ」と大きな欠伸をした。 今日のスケジュールが座学ばっかりだからだろう。 頭ばっかり使って身体を動かせないのは、ものすごく眠気を誘う。 板書もなければさらに、だ。 「おい、聞いてるのか?」 隣から咎められる声が聞こえて、「ん。聞いてる」と生返事に近い声で首を動かした。 相手は「ホントかよ」と唇を尖らせすねるので、俺は苦笑して、眠気覚ましに水を飲み干した。 「それでな、最近のジンにも色々改良が加わってきてんだよ。 前時代のバッテリーなんかより数倍上がって、しかも変換能率も上がったんだ」 「もともと使用能率悪かっただろ。そこに新しく開発されたのが入れられれば前年の比なんか目じゃないって話だぜ」 「俺としてはもろもろの接続の悪さをどうにかしてほしいけどな・・・それだけで消費率なんて簡単に変わるのに・・・大量生産にしてもなぁ」 「そこはあれだ。ロマンと操縦の腕なんかで」 「何のロマンだ」 最近の実地訓練で知り合った、技術科のヴィーノとヨウランと他愛もない話をする。 この二人と出会ったのは、シンが関わっているのだけど、今その当人は近くにはいない。 人と距離を置いているあいつが、さらに距離を置く時は、俺とさえ一緒にいるのを拒んだ。 同じ部屋にいて声をかけても反応を示さず、壁をぼうと見つめ続ける。ひどい時には、何もかもから隔絶するように全身を覆い隠して眠っている。 そして、まるで自分を痛めつけるみたいに、訓練で暴走する。 鬼気迫る攻防にいつも冷や汗をかくが、それよりも相手の向こうを見つめている様な眼の方が怖かった。 そして、その後の気の抜けたような顔も。 本当は一人にしておきたくないんだけど、いつの間にかどこかに行ってしまい、それでも授業には必ずいるからあまり構わないことにした。 一人でいたい時は誰にだってあるし、深くかかわってほしくないこともあるだろう。 結構、根気がいるのが辛いところだ。案外俺は人の深いところに突っ込みたがる奴だったらしい。 「お、ホーク姉妹」 呟いたのはどっちだったか。 向いた視線にならって、俺も顔を上げた。 休憩室の入り口付近に、二つの赤髪がいた。 一人はルナで、もう一人はルナよりも赤が際立つツインテールの女の子だった。 あれが噂のルナマリアの妹かな。 「やっぱかーわいいよなー。二人とも」 「お前ああいうのが好み?」 「後はもっとボインだったら最高!」 二人の馬鹿話を聞きながら姉妹を見ていると、ルナと目があった。 ルナは俺から妹の方へ目を移し、何かを伝えると、二人揃ってこっちに近づいてきた。 「」 ルナが片手をあげて、俺もそれを返す。 隣の妹さんと目が合うと、彼女はびくと肩を震わせて目線をそらされた。人見知りするタイプなのか? 「初対面よね。私の妹のメイリン」 「だ。よろしく」 姉に促されて前に出されたメイリンに、俺は手を差し出した。 また肩がびくと動いたけど、「メイリンです・・・」と蚊よりは大きい声で呟いて応えてくれた。 ずいぶん姉とは違うなと思って、その初々しさに自然と顔が緩む。すると握っていた手をぱっと話されて、俯かれた。 えーと、気を悪くしたのかな?これは・・・ 「それで、何か用?」 若干傷つきつつもルナに目を向けると、妹を見ていたルナは「まあね」と頷いた。 「近々この子の誕生日なの。それで、久しぶりにパーティーでもしようかなと思って。手伝ってくれる?」 「へえ。そうなのか。おめでとう」 言うとメイリンは頬を赤らめて「ありがとうございます」と呟いた。 「なあ!俺たちも参加していい?」 「もちろん。せっかくだから別の科の人たちとの交流会にもしたいって思ってるから」 ルナの言葉に、ヴィーノが大いに喜んで、「みんなにも広めとくな」と、ヨウランと去って行った。 バイタリティあるよな。 「それで、俺は何すればいいんだ?」 「一緒に企画を立ててほしいの。あと男子のまとめ役」 「んー、さすがに人数多そうだから、他科の知ってる奴にも応援頼んでおくか」 「女子の方は、数もそんなにいないし、私とこの子で何とかするから」 「イベントの主役なのに?」 「えと、あの。口実だから、気にしないでください」 「そうか」と首を傾げたら、ようやく「はい」と笑みを見せてくれた。 あ、なんかかわいい。ルナマリアがしっかり者だからな。ギャップがあって新鮮だ。 「あと、シンにも声をかけておいてほしいんだけど・・・」 「・・・・・期待薄いと思うよ」 ルナも今のシンの状態を知っているから、俺の苦笑に「まあ呼びかけるだけでもしておいて」と強要はしなかった。 その後は日程と準備、注文、会場の打ち合わせを軽くして、今日は解散した。 さてと、シンはどこにいるかな。 残り少ない休憩時間を使って、次の教室へ向かいがてら、俺はシンを探した。 もしかしたらもう入っているかもしれないし、いないなら早く会えた方がいい。 そうしてしばらく左右に顔を巡らせていると。 「あ」 見慣れた金髪が目の中に飛び込んできた。 誰も通らない通路のベンチに腰掛けて、読み物をしているレイ。 相変わらず無表情で、何を考えているか分からないその姿は、噂通りの『人形』に見える。 ・・・俺が目の前にいる時は、あんなに不機嫌なのにな。 しかもまだまともに喋れたことがないから、原因も不明だ。俺の頭痛の第1号さん。 そのうち決着付けないとな。 そしてすぐに、探し人も見つけることができた。 レイとは死角になる場所に、シンがうずくまっていた。 どこかを睨みつけて、手の中のものを悲しげに見つけて、俯く。 見てて痛々しい姿を、ずっとさらしていた。 変な感じだな。 ここは、同じ空間で、同じ場所で。 見渡せば、すぐに目が合う場所なのに。 こんなにも、空気が違う。 俺たちって、こんなに違うものなんだな。 それがさみしいって思うのは、勝手だし。わがままなんだろう。 俺は二人から目を離して、教室に行くことにした。 その後、シンを誘ってみたけど、結局あいつは来なかった。 レイもダメもとで誘ってみて、予想通りだった。 あいつら、本当にあのままでいいのかな? でも、そう思っても。 俺に出来ることは見つからなかった。 |