何かに気がついて、彼女は慰霊碑から海岸に目を向けた。

隣にいる彼が気が付かなかったのは、やはりここが彼にとって特別な場所だったからなのだろう。


辺りには花壇が敷き詰められている。その中に咲き誇ってこの場所を慰めていただろう花達は、潮を被って萎びれていた。
今優しくその姿を見せているのは慰霊碑に贈られた花束だけだ。

その隣に花束を置いて、彼女は慰霊碑を見つめる彼を見た。

彼がここに置いている思いはどんなものか、彼女には測れない。
おそらく彼もそんなことを望んではいない。だから彼女はただ寄り添うように彼の隣にいた。


「キラ」

彼女が彼を呼ぶと、少しの間を置いて彼が顔を向けた。
その目には虚ろな感情が籠もっている。


彼はずっと苦しんでいる。
いつまでも苦しんでいる。

その苦しみで空いてしまった彼の空洞は、彼から判断や行動を奪ってしまった。

何もしないことを選び、ただ生きる。
それが正しいのかは、誰にもわからない。


彼女はそんな彼でも構わなかった。彼が傍にいれば幸せなのだ。彼の慰めであれば幸せなのだ。
それは彼女の本心だった。


だが彼女は知っている。


彼の望み。

彼の本当の姿。

彼の本当の幸せを。







「キラ、少し、この辺りを回って行ってもよろしいですか?」

キラに告げると、彼女――ラクスの予想通り彼は少し目を開いた。

「え、危ないよ?」
「少しくらい大丈夫ですわ。それに」

意味深に慰霊碑を見て、またキラを見る。

「たくさん、お話があるのではないですか?」

ただそれだけでキラはラクスを引き止めることを諦めた。

「危ない所に行ったら駄目だよ」と、まるで親のようなセリフに手を振って返し、ラクスは海岸線への道を降りていった。

まだ波高い海とは逆の、岩場を見渡す。

果たして、先程見つけた人影と気配を、すぐに見つけることができた。


蹲り、俯く少年は、ラクスが近寄ることに気付き、顔を上げた。

「・・・・・あ」

ラクスの姿をとらえた後、戦くように少年の顔が強ばるのが見えた。
夕日に照らされた姿は、間違いなく知っているものだ。

?」

ラクスは少し話し掛けるにはやや離れた距離で、少年――を呼んだ。

「――っ」

しかしはそれを合図に駆け出そうと、ラクスから逃げようとした。
なぜ逃げるのか。
ラクスには彼の意図がわからない。

「お待ちになって!」

呼び止めると、はすぐに動きを止めた。
そしてラクスの動向を探るように、目をうろうろとさせて伺っている。
それはまるで窮地に立たされた人間が逃げ足す為の道を探すような動作だった。

「どうか、逃げないで下さい」

今にもまた走りだしそうな動揺するを、ラクスはそっと手を包んで引き止めた。

と別れて1年。
背がずいぶん伸びた。顔つきも、大人びたものが見て取れた。



それなのになぜ、彼は迷子の子供のように途方に暮れた顔をしているのだろうか。
キラの隣にいた、悩み、迷いながらも先を信じている、あのまっすぐな目は何処に行ってしまったのだろう。

視線を揺らしていたは、しばらくして目蓋を強く閉じた。
長い間、は瞳を閉じたまま動かない。

「ラクス、さん」

ゆっくりと、動揺から抜け出そうとして、次に目を開けたときには、さっきまでの迷子は薄まり、理性的な土色の瞳がラクスを捕えた。

「おかえりなさい。

それを見て、ラクスもまた安堵し、に笑顔を返した。
手を離しても、はそのままラクスから目を逸らさなかった。

「貴方が顔を見せて下さったら、きっとキラは喜びますわ」

しかし、ラクスの次の言葉に、顔を俯かせてしまう。

「・・・・・・・今、は、・・・・・会えません」

絞りだした言葉だった。
それはラクスにとって意外な言葉だった。
ずっとキラのことを思っていただろうが、初めて自分のために拒絶した。

「なぜ?」

ラクスにの、あまり親交のない人の心情の全てをわかるはずもない。
それでも、観察力の優れた彼女は、の異変を察していた。

がキラと離れる決意をしたことを、ラクスは知っている。彼が今プラントのカレッジにいることも。
あの災害の前にオーブに帰ってきたのなら、恐らく家族の心配をして来たのだろう。しかしこの予測は、誤りだったようだ。
なら彼は何をしにここへ来たのか。
そもそもどのような経緯で帰ってきたのだろうか。

「お母様には、言ってらっしゃいませんの?」

次の質問も首を振って否定された。

「もともと、帰って来る予定なんてなかったんです」

キラに会わなくとも、親には連絡しているだろうと聞いたが、それも外れた。

「それに―――――――――俺には、会う資格もない」

拳を握り、吐き捨てるような自嘲の呟きは、罪を告白する罪人のような言葉だった。
耳に捕えてしまったそれに、ラクスは眉尻を垂らした。
言葉に感じた答えがそれが勘違いならばいい。と、あえて聞き返すことはしなかった。

「資格など、必要ないでしょう?家族なのですから」

その代わりに慰めたラクスの呟きは、今のには何の意味ももたらさなかった。

またラクスは無言でを見つめ、悲しみの表情をとる。

頑なに拒む姿勢のには今何を言ったとしても、家族と岸壁の向こうにいるキラに会おうと思い直すことはないだろう。

とラクスにはキラとの深い繋がりがあっても、お互いは薄い繋がりだ。
人との関係が相手を説得できる手段だと知っているラクスは、それ以上に強く言うことを諦めた。

「キラは、悲しまれますわね」

話題がそれたことで、少しの間間が空いた。
ラクスは何を言えばいいか逡巡する。
は決して道を迷っている訳ではない。目指した道に対するそのはてしなさに苦悩しているように感じられた。

「元気に、してますか?あいつ」

先に振ったのはだった。

どんな時でもキラを心配する姿勢は変わらない。
儀礼的な空気はあったものの、ラクスは素直に返した。

「お元気ですわ。いつも子供達に囲まれて」
「そうですか。よかった」

キラが孤独ではない事を知って、は安堵した。
別れた時に何もかもを投げ出さないかと思っていた杞憂は、晴れ晴れと消えた。

「貴方がいる空を、いつも眺めています」

しかし、胸に痛い言葉も、ラクスは残酷に告げた。

「いつも、貴方を求めていますわ」

言わなくてもいいものを、とは歯噛む。ラクスの意趣返しは、にまた辛く刺さった。

には分かっている。
そして、ラクスもまた気付いている。
キラに会いたいという本心に。

「俺は」

それでも、は理性で押し込めて踏みとどまった。
今会ったところで、それは自分のための甘えでしかない。

「どんなことがあっても、いつだって帰ることができます」

頑ななに、ラクスは慰めるように告げた。

「どうか、そのことを忘れないで」

の手を取って、祈りを捧げるために掲げる。

「どうかあなたの道に、祝福がありますように」


この人を必要とする人たちのために、幸いでありますように。


ラクスにとって、それがにできる最大のことだ。
はラクスに何も望んでいない。誰かにこうあって欲しいと望んではいない。
自分の都合のためにいてほしい人物は、きっといないのだろう。

ただ、唯一望むことは、彼の支えである彼が幸福である事。
彼の心が壊れないでいてくれること。

ラクスにできることは、彼の傍で癒しになることなのだ。


「ラクスさん」

は目を瞬いて、ラクスを不思議そうに見た。
そしてその後、ようやく笑顔を見せた。

「修道士みたいですね」
「ふふふ。すこし影響された方がおりますの」

まだ、本当に気持ちの晴れた笑顔ではないものの、ようやく見れたその表情にラクスは喜んだ。

は笑みを深くして、「帰ります」と打ち明けた。

呪縛のようなキラへの想いは、少しだけだが解くことができた。
会うことが今するべきことじゃない。
泣いてすがって、助けを請うのは、彼へするべきではない。
がしなければいけないことは、が選んだ道にあるはずなのだ。

別れの言葉に、ラクスは頷いた。

「キラには貴方のことは言いません。その方が、キラのためにもなります」
「ありがとう」

どうか、俺の代わりにキラを見守って下さい。

心の中でそう呟いて、は背を向けた。


去っていく背中を見送り、ラクスも待たせているキラの所に戻ろうと踵を返す。


(これでよかったのでしょうか)


後ろ髪を引かれる思いはあった。
キラにとってに会うことは、何よりも幸福なことだと知っている。
今それができるのにしないことは、良いのかと考える。
帰ってこないを無理矢理引きとめる事は、彼ら二人にとって良いことではないのか?

考えて、理屈なく想像できるほどキラに愛されている彼に嫉妬を覚えた。


(ずるい人)


けれどラクスには彼を嫌うことはできなかった。
信念を持って動く人に、ラクスはとても弱かった。

大切なものを傍に置かずどこまでも、どこまでも前に進もうとする。
そのことに寂しさを抱き、自分も隣を歩きたいと思う。



精神も身体もまだ未熟な彼は、それでも誰よりも大人であろうとしている。
本当は誰かを頼りたいだろうに、それを今、周りに受け止める人がいないのだろう。

心の支えにしているキラも、今の彼には頼れない。
自分から突き放してしまったから?
キラが頼りないから?

彼の内は測れないが、そうできない訳があるのだろう。


押しつぶされないといい。

責や重圧はまだ彼には早すぎる。
誰かに利用されて、それを避ける術を持つには彼の心は幼すぎる。



どうか、彼が壊れませんように。



願いと祈りの心は、ラクスを歌わせた。
誰もが望む希望の野原。




その道が開けますように。











2011.7.17