ミネルバの格納庫内は、熱気に包まれていた。 あの包囲網を生きて突破できたことで、クルーのテンションは跳ね上がり、その功績の功労者へ、パイロットと技術クルーの全員が待ち構えていた。 「シン!お前すげえよーーっ!」 『インパルス』の前で沸き起こった歓声が、ハッチを開けてすぐに飛び込んできた。 自分に向けられている訳じゃないけれど、心身共に重くて辛い自分には、その明るい声は受け止め辛い。 ハッチが開ききり、コックピットから腰を上げると、マークスさんが手を差し伸べてくれた。 「君、お疲れ様」 「・・・・はい」 優しく労ってくれるマークスさんをつかんで体を外に出すと、シンが色んな人にもみくちゃにされているのが見下ろせた。 みんながシンを見て笑っている。誇らしげに感じ、この戦場を乗り切った事を喜んでいる。 「さあほら、もういい加減仕事にもどるんだ!カーペンタリアまではまだあるんだぞ!」 マークスさんの声にそれぞれが散り、戦い終えたクルーたちは揃って俺の方へ向かってきた。 「!」 「ルナ、レイ・・・・・シン」 ルナにもレイにも、怪我も疲れも見られなかった。 あれだけ暴れまわっていたシンも、汗まみれで疲れているようだったが、どこにも異常は見られない。 それどころか、どこか誇らしげにも見えて。 「みんな、無事で、よかった・・・・・・」 呟いたとたん、涙がポロリとこぼれた。 そのことに周りが驚いているが、俺の方が自分に驚いた。嗚咽を我慢していた訳じゃないのに、なんで。 「ちょっ、何で泣くのよ」 ルナがあわてて近寄り、手を伸ばしてくるが、その手から少し身を捻る。 人に触れられたい気分じゃなかった。 「ごめん。大丈夫だから」 「嬉し泣きなの?確かに生きてるのが不思議なくらいだものね」 なんでもないように笑うと、ルナが首を傾げつつもそう言って終わらせてくれた。 レイは横目で見つめて、シンも俺の心の内を覗くみたいにじっと見つめていたけれど、深く追求はされなかった。 なにを言われても、俺には何も言えない。そもそも自分の心の内がわからない。 「シン、本当にすごかったな。びっくりした」 輪の外にいたせいで言えなかった事を、改めてシンに言うと、シンはややむっとなった。照れてるのか、少し顔が染まっていく。 「ホントよね!いきなりあんなすごい戦い方になった感じだもの」 ルナもそれに乗って、シンを称えた。 確かにすごい戦い方だった。いつものシンだけど、今までシンがしようとしていた理想の戦い方をやってのけたような、そんな形だった。 今までのシンの腕では到底考えられない、何年・・いや、何ヶ月も未来のような、シンの姿がそこにあった。 シンが、連邦を撃退した。 ミネルバのクルーには被害はない。 「けどホント、どうしちゃったわけ?なんか急にスーパーエース級じゃない。火事場の馬鹿力ってやつ?」 「よくわからないよ、自分でも。オーブ艦が発砲したの見て、アッタマきて、こんなんでやられてたまるか、って思ったら、急に頭ん中クリアになって」 「ぶち切れた!ってこと?」 「いや、そういう事じゃ、・・・・・・ないと思うけど・・・・・」 「何にせよお前が艦を守った」 レイまでもが話に加わって、みんながシンを褒め称える。 それは当然だ。分かっている。 「生きているということは、それだけで価値がある。明日があるということだからな」 「びっくりしたぁ」 「っていうかレイ、なんかセリフがじじむさいかも」 いつものレイでは考えられないような賛辞と口数の多さに、ルナとシンが目を丸くして、噴き出す。 その二人へレイはまだ笑顔を浮かべたままだ。 笑いあうシンとルナが眩しくて。自分の感情が心底最低だと思った。 仲間の無事を、素直に喜べないなんて。 俺は、絶対にどうかしている。 戦闘後の後片付けも終わり、ミネルバは順調に海上航行を続けた。 戦闘によって受けた損害はやはり酷いが、重要な部分はなんとか攻撃を免れて、航行に支障はなかった。 日が出ているうちは慌ただしく応急処置を行っていた整備の声も音も、今はもうない。 寝静まった格納庫の中で、俺は『アルケミス』を見上げて、問いかけるように心の中で言葉を紡いでいた。 (俺は、どうすれば満足だったんだ?) 人を殺さないで逃げ切れれば、満足だったのか? (そんなのは、不可能だ) だけど、本当は、そうしたかった。 (できるわけがない) 敵だった。 こっちを沈めようと。殺そうと躍起になっていた相手だった。 逃げた所で追いかけて、こっちが沈むまで攻めてくる、そういう相手だった。 戦場に立って、人の命を奪うことは、どうしたって避けられない。 避けられなかった。どうやったところで。 (俺の決意なんて、ゴミくず以下だ) ただの無駄だった。 でも、なら、どうしろというんだ。 人を殺してどうにかなる世界なんて、ないと思いたい。 ましてや人を殺して楽しいと思うなんて。達成感で喜ぶなんて。 とてもできない。できるわけがない。 そんな感覚、理解できない。 俺には、戦場で戦うことが、できない。 この先一体どうやって、どんな気持ちで戦場に立てばいいのか分からない。 (キラ、お前は、どうやって戦ってたんだ?) なんで戦えたんだ。 人を撃てたんだ。 どうやって乗り越えたんだ。 カラン・・・と、後ろから物音がして、俺はその音の方へ、動揺をしまい込んでからゆっくりと振り返った。 「シン・・・?」 そこには罰の悪い顔をしたシンが立っていた。 他には誰もいない。 シンは、俺へ顔を伺うようにしたあと、なぜか眦を吊り上げて俺へと向かってきた。 「・・・・・どうしたんだ。こんなところで」 「お前こそ、こんなとこで何してるんだよ。戦闘があった後なのに」 「気が張ってて、眠れそうにないから」 「今にもぶっ倒れそうな顔してて、何言ってんだよ」 不機嫌に指摘するシンに、ふ、と、俺は笑ってしまった。 シンが言うなら、本当に俺は酷い顔をしているんだろう。 「そうだな。戻ろうか」と言おうとして、シンの言葉に口を噤んだ。 「不満なら俺に文句言えばいいだろ」 シンの言葉に、頭が真っ白になった。シンが理解できない。 意図が分からず、なんでそんなことを言うのかと見つめると、シンはじっと俺を睨みつけて、自分の拳を見下ろした。 「俺は、あいつらを撃ったこと後悔してない。こっちが生き残るためだった! だから悪いなんて思わない!」 シンは、何を言っているんだろう。 なんで俺が責めたような口ぶりで、俺を責めるんだろう。 「お前は!・・・・でも、お前は。俺を軽蔑するんだろう。人殺しの俺を!」 思わず首を振りかけて、体がそれを拒否した。 そんなことを思ってないと、否定できない自分がいた。 「・・・・・軽蔑なんて、―――――しない」 上辺だとわかっていても、それを言うだけで、精いっぱいだった。 「シンに感謝してるし、尊敬してる」 これは、本心だ。 間違いない。 ミネルバを救って、今みんなが無事にいられるのは、間違いなくシンのおかげだ。 俺なんかじゃなく。 俺は何もできなかった。 「そんな顔で言われたって、嬉しくないんだよ!!」 だけど、シンにはすべてが逆鱗に触れたように、さらに怒りを露わにした。 「はっきり言えばいいだろ!お前がどう思ってるかっ!」 憤然としているシンをどうすれば宥められるだろう。 ただそのことだけが頭の中を埋め尽くす。 「さっきの戦闘のことだって!『ユニウスセブン』の時だって!オーブやアスハだって、なんだって!!」 混乱して、シンの言葉が鼓膜を揺らす。 「全部抱えこむなよ!言えよ!!」 言う? 何を? なにを言ったら、俺は救われるんだ? 俺は何から解放されるんだ? 俺がここにいることも。 俺が軍で使われることになったことも。 自分自身の矛盾に苦しんでいることも。 キラのことだって、何も、変わらない。 全部俺が招いたことだ。 「―――――シンに言っても、何も変わらない」 呆然としているのに、自然と言葉がこぼれた。 シンの顔が何もかも喪失したように、その赤い眼すら凍らせた後。すぐに怒りに燃えた眼が俺を捉えて。 気がつくと俺は、強い衝撃を受けて床に転がっていた。 「変わるとか、変わらないとか・・・・・・・なんだよそれ!!」 頬が痛い。じくじくとした痛みは、すぐに鋭利になる。叩きつけられた肩も腕も、鈍い痛みを訴えていた。 「――――――――お前、ミネルバ降りろよ・・・・」 静かな言葉だった。 だけど、俺をつき落とすには十分な威力を持った言葉だった。 「不幸気取って。戦うのを躊躇うくらいなら。―――――――軍人なんてっ、やめればいいだろっ!!」 シンの言葉に叩きつけられて、俺はその場を動けなかった。 シンの顔すら見れなくて。ただ、去っていくシンの足音が耳に残った。 残ったのは、身体の中心を貫いた痛みだけだ。 「こんな、風に―――――」 支えている腕に、零れた涙が落ちた。 もう止められなくなったそれは、いつまでもシミを作り続ける。 シンがぶち壊したものは、俺が散々貼っていた虚勢と、助けを求めていたのにそれを押し殺していた心だった。 「あいつも、おもったのかな・・・・・・・・・・・」 ごめん。 シン。ごめん。 傷つけてごめん。 シンの痛みは、よくわかる。 同じように傷ついたから、わかるんだ。 でも、言っても、許されるのか? こんな途方も無い愚かな真似を、相手が困難にあうとわかっていて、俺は、他人に押し付けられない。 「・・・・・・・キラっ。キラ・・っ・・キ・・ラっ・・ぁ・・ぅぅぅぅっ――――〜〜っ」 お前はどうやって、乗り越えたんだ。 その日、俺は初めて部屋に戻らずに、『アルケミス』のコックピットで眠った。 上手く人を頼ることができないのは、俺も、キラも、一緒だ。 さんざん言っていたキラへの文句が、自分に帰ってくる日が来るなんて、俺はこの時まで思っていなかった。 散々な気持ちで眠りについた後は、最悪だった。 嫌な悪夢も見た気がする。 憂鬱な気分で目が覚めると、自分の上にブランケットがかけられていることに気が付いた。 誰がかけてくれたんだろう。 (シン・・・・?な、訳ないよな) 一番に思い浮かんだ顔を、俺は否定した。 あんな喧嘩の後に、それはないだろう。 コクピットを出て格納庫へ下りると、まだ日も出ていない時間のようだった。 薄暗い格納庫は、だけど人の気配があった。 「やあ。おはようくん」 「マークスさん、・・・・・・ずいぶん早いですね」 いつもの柔らかな笑顔で迎えたマークスさんは、コーヒーを持ったまま、ミネルバの図面をパネルに広げていた。 「そうかい?まぁ、戦闘の後だからね。修理もまだ応急処置程度だから、朝からでもやることはあるよ」 パネルにはもうそろそろ日が上るだろう時刻が表示されていた。もっと寝ていたら他の整備に見られていたかもしれないと思うと、なんだか居心地が悪くなる。 2人分あった手元のカップの一つを俺によこして、マークスさんは俺を覗き込んできた。 「くん。僕は、悩むことは悪いことじゃないと思っている」 思いやりの溢れた顔で俺を見つめるマークスさんは、静かに俺へ語りかけた。 なぜそんなことをと眼で訴えると、 「昨日の話、聞こえていたんだ。立ち聞きしてごめんね」と答えてくれた。 あのやり取りを見られていたのは、かなり堪える。 マークスさんが見れなくなった俺に、マークスさんはまた語りだした。 「僕だって、今も、兵器を扱うことに関して、疑問に思っていた事はあった。それでも、僕達が、コーディネーターが生き残るためには仕方のないことだと思った。プラントが落ちれば、そこに住んでいる人全てが命を落とすからね」 俺を慰めるための言葉を言ってくれる。 「僕らを殺そうと、平気で争いを起こそうとする彼らは、悪魔だ。もちろん、全てのナチュラルがそうだとは思っていない」 だけど、それは俺の中で、何も響きはしなかった。 分かり切っていることだ。そんなことは。 「彼らの暴挙を止めるために、力が必要なのは事実だ。奮った力で人が傷ついてしまうのは仕方ないんだ。彼らもそれをわかってこちらを滅ぼそうとしているのだから」 だけど俺は、俺が望んでいるのはそんなことじゃない。 仕方ないなんて言葉で割り切ってほしくない。 「戦う前に止めようと呼び掛けて、終わらせることもしないんですね」 嫌味がこもった返しだった。 皮肉に口の端が歪むのが分かった。 マークスさんは気がつかなかったようだけれど。 「彼らがそんなことを言っても、止まるなどとは考えない方がいい。今まで再三やってきて、何度裏切られたと思う?まして和平を結んだり、同盟を組むなんて。そんな話を持ちかければ、下手をすれば支配下に入れられ、どうなるか」 「どうして、支配し、される、しか選択肢がないんですか」 自分の声が凍りついて、マークスさんを詰る声音になっていた。 はっとしたようにマークスさんが俺を見上げる。 その顔が滑稽だったけど、俺には笑えなかった。 笑う気も失せた。 「俺には、ナチュラルの友達がいます。尊敬する先生にも。それは異常ですか。 コーディネーターの友人もいました。普通に、皆が皆、ナチュラルもコーディネイターも関係なく仲間として集まっていた。それはありえないことですか」 オーブでは、俺の暮らしていた場所では普通に行われていたことだった。 ナチュラルもコーディネイターも同じ場所に住んで、近所づきあいがあって、なんの隔たりも俺には見えなかった。 隠されていたとも思えない。 それくらい、自然だったあの世界。 それを否定された答えを聞いて、俺は明らかに怒りを覚えていた。 「ただ生まれ方が違うだけで争うしかないのなら、俺が生きていた時間は、幻だったって、言うんですか?」 マークスさんは首を振った。 まるで俺が世間を知らない子供のような目で見ている。 「それは、君が恵まれていたからだよ」 「恵まれていた・・・?」 また琴線に触れる。 そうだろう。確かに俺は恵まれていた。 だけど、たった一人がどうにかしてできる環境じゃない。 誰もが努力してできた、奇跡じゃない。まぎれもなく現実の世界だ。 「俺は・・・そうは思えない」 なら、あの世界は、絶対に誰もが努力すればできる世界なんだ。 なんの隔たりもない世界を、人は作れるはずなんだ。 そして、ようやく俺は、俺の答えに気付いた。 俺が求めていた答えは、俺の記憶の中にあった。 そうか。俺は。 あの記憶を、本当にしたいんだ。 目指すものは明確に見えている。 でも、それはとても、近いのに。そこへ行くには回り道をしなければいけないと、答えが出ていた。 「やっと、気持ちが落ち着けたみたいだね」 はっと我に帰ると、マークスさんは安心したように笑っていた。 その笑顔に、俺はマークスさんの意図がわかった。 「すみません、俺・・・」 「焚きつけたのは僕だから。気にすることなんかない。それに、セラ君がどうしたいのかが分かったことの方が重要だよ」 笑って俺を受け入れるマークスさんは「それにね」と続けた。 「実は僕も元はオーブの人間だから」 「え!?」 衝撃の事実に、俺は驚いた。てっきりプラントの人だと思っていたのに。 「戦時中にオーブからこっちに亡命して、ね。その後は、持っている技術力を買われてプラントで働いていたんだ」 「そう、だったんですか・・・・」 オーブの人間がプラントに住み着いていたのは知っていたけど、マークスさんもだとは思わなかった。 「セラ君、でも、さっき僕が言ったことは、事実だよ。大衆は君の意見を絵空事だと言うだろう」 マークスさんに諭されて、俺は項垂れた。もう否定することはできない。 だけど。 「それでも君は、貫きたいんだね」 強い意志を持って、頷いた。 早急に、考えなければならない。 望む世界に、どうしたらなれるのかを。 どんなに難しくても、答えを出さないといけない。 いつかではなく。今。 ******** 男は一人、いくつものパネルを並べて映像を見つめていた。 そのすべてには戦闘用モビルスーツの姿がある。 電磁パックを動力とした従来のモビルスーツとはわずかに違う、モノクロのモビルスーツの映像や画像が映されて、それのすべてを見つめて男は恍惚と呟いた。 「これも。これも。・・・・・―――やっぱりそうだ」 相手のモビルスーツを倒すモノクロの戦闘機は、よく見ればどれも武器破壊、もしくは搭乗部位へのダメージが軽く、相手の動きを止めるためのものだった。 「敵へ同情するなんて。気違いもいいところだね」 男はそう評価して、モニターを指先でなぞり、侮蔑した。 ―――――なのに、愛おしい。 男には考えられない、愚か極まりない嗤笑しか浮かばないこの行為に、彼は慈愛を感じていた。 なぜこんな感覚が溢れるのか、彼には理解し難かった。 生まれてからこれまで一度も、誰一人として愛情を抱いたもののない自分が、初めて慈しみの感情を抱いている。 それは奇跡どころか、男にとって天変地異よりもありえないことだった。 だが、清々しい思いが、不思議と彼に不愉快とは思わせなかった。 未だかつて経験したことのない感情に、男は心の底から笑った。 「会ってみたいなぁ」 彼に。このモビルスーツのパイロットに。 恋に浮かれ、酔いしれた声は、男以外に聞こえることはなく霧散した。 |