地球連合軍第81独立機動郡ファントムペイン。 ザフトから新型モビルスーツ3機を奪取し、追撃したミネルバをまんまと出し抜いたアンノウン『ボギーワン』と通称されたものの正体だ。 ブルーコスモスの手足とも噂されるその部隊は、公の戦場に現われないため軍内部でも半ば伝説と思われている。 そのファントムペインに新たな配属が降りることは稀だ。特に、一兵卒には配属が降りることすらない。この部隊はある特殊な人間以外排除されるからだ。 それは類い稀なる戦闘能力の他に、出自もある。 反プラント、反コーディネイターを掲げるブルーコスモスだからこそなのか。その構成員は狂気ともとれる者達しかいない。 (ま、僕もその1人ってことになるのだけど) まるで他人事のように彼はほくそ笑んだ。蔑みのこもった笑みであったが、周囲からは柔らかく微笑む程度に見えるように操作する。 その姿に通りかかった女性軍人がほう・・・と魅惑されて吐息を吐きだしていた。彼はそれに目もくれない。彼にとっては当たり前だったからだ。 彼は自分の容姿や態度に対して、絶対の自信を持っていた。 自己陶酔者という訳ではない。そもそも彼は自分自身すら愛していなかった。彼が愛しているのは自分の心を満たしてくれる何かだ。 それは愉悦や喜悦であり、他のものに対しては、それこそ三大欲求ですら生命維持以上には考えていなかった。 彼の欲を満たす為のその行使に、彼の容姿と能力は非常に役に立った。 誰もが容姿端麗と認める整った顔立ち。アッシュブロンドと碧の瞳。類稀なる明晰な頭脳と卓越した身体能力。 ナチュラルとして生まれた彼は、コーディネイターと同等、またはそれ以上の才能を持って生まれた。 誰もが羨むものをすべて持って生まれ、それゆえに彼は歪だった。 颯爽と歩く彼の姿に、誰もが目を一瞬止めた。しかし、彼はその奇異の目には欠片ほども興味はない。 今、彼を突き動かすものはもっと別のものだ。 今まで関心なく、周囲に期待されながらも自ら遠ざけていたこんな場所に、わざわざ踏み入ったのもそのためだ。 軍基地内を目的地へ向かって歩いていた時、前を歩く士官候補生の少女を見つけた。 見覚えを感じて、彼は昨日目を通した資料の情報から、該当する人物を引き出した。 そう。たしかステラ・ルーシェという名の少女だ。 「やあステラ。久しぶりだね」 さも既知のように声を掛ける。 「誰だ」 「忘れちゃった?昔よく遊んだんだよ」 少女は振り向いて、敵意を隠さぬ瞳で彼を見据えた。 「しらない。お前・・・」 警戒を強める少女に、つまらないと思い、表情だけは悲壮にして溜息を吐く。 (『ゆりかご』に入れたデータ、書き加える前だったか) 遊びに対して妥協しない彼は、自らがハックして入力したデータが使用されていないことを嘆いた。 切ない彼の表情は、少女に効果があったらしい。 じりと後退する少女の目に、僅かに困惑の色が見えて、追い討ちを掛けるために目を伏せ、顔を俯けた。 「なんなんだ。お前っ」 「ステラ」 混乱している野性の獣のような姿だと、彼は思った。 普通の女としての感覚はほとんどないだろう。無垢な蕾そのものだ。 さてこれからどうするかと考える。彼女の心身を揺さぶるのも楽しいだろうが。 そこで、第三者の声が放たれた。 「ステラ」 「ネオ!」 力強い呼びかけに、少女ははぐれた親を見つけた子供のように、弾かれて声の主の元へ駈けて寄っていった。 擦り寄り影に隠れてこちらを威嚇する姿なんて、まさに小動物だ。 彼は声の主を見て姿勢を正した。 今日から自分の上官になる者へ敬意を忘れてはいけないだろう。 たとえそれが仮面で顔を隠した不審者でも。 少女が懐く人物は、顔の半分を覆面帽で隠した男だった。顔の輪郭から整った容姿だろうことは推察できた。だが顔を隠していることでそれも台無しにして、男を悪い意味で怪しいものにしている。 「失礼だがどなたかな。なぜこの艦に?」 男の問いに、小馬鹿にした感想を露にも出さず、彼は模範のような完璧な敬礼を行った。 「お目にかかれて光栄です。ネオ・ノアローク大佐。この度第81番独立機動群に配属となりましたルイス・アズラエル少佐です。よろしくご指導のほど、お願い致します」 「・・・・アズラエル?」 仮面の男――ネオが少し驚いたように繰り返す。 愉快ではないだろう感情と困惑がまざった声は、こちらのことを一切聞いていないという不快も見て取れた。 なにせルイスの配属が決まったのは昨日のことだ。鈍速な司令部から連絡が来ているとは思えない。 「まさか、先の大戦で亡くなられたアズラエル理事の・・・」 「申し訳ありません。兄の話は、ご遠慮ください」 あんな私怨に溺れ、自身の驕りで破滅した人間など、身内とも思えない。 さも身内が亡くなったことが悲しいのだと目を伏せて訂正し、断りを入れる。 相手が了承したのを見て取ってから、ルイスは辞令書をネオに渡して、目を通すのを待った。 「私の家が気になるとは思いますが、クルーの一員として宜しくお願い致します。ロアノーク大佐殿」 深々と頭を下げてやればそれで十分だ。 扱いに悩むだろうことは分かっている。 求めるものの為ならば何でもできる。靴底を舐めることすら躊躇わない。 アズラエルの名を聞いて暴挙に出るものもいないだろうが。 暫く配属時の確認等を行い、最後に他のパイロットとの顔合わせをとネオに勧められ、ルイスは従順に従った。 ずっと付き添っているステラには嫌われたようだ。 いつまでも睨み付けてくる少女には、ただ柔和に頬笑むだけで済ませた。 レクルームに着いた先では、2人の少年がそれぞれ寛いでいる。 入ってきたルイス達に気付き、誰よりも驚いたのは水色の髪の少年だった。 「ルー!??」 少年はルイスを食い入って見つめ、今にも飛び跳ねそうな勢いで興奮していた。 「やっぱそうだ!ルーだ!!」 「誰だよ」 「しらねーのかよ!超有名なシンガーソングライターなんだぜ!?」 仲間の問いにも変わらず、喜色を浮かべる少年は、さすがに意外だった。 彼らに渡される嗜好品はあっても、精神操作を行っている彼らの記憶に留まることは稀だからだ。 世界的トップアーティストに上り詰めたルイスの音楽活動は、誰もが知るところだ。 恐らく彼らへ与えられたものの中に混ざっていたのだろう。 「まいったな。こんなところにファンがいてくれるなんて、嬉しいよ」 「なあ!なんか歌ってくれよ!!オレすっげーファンなんだ」 「ふっふふふ。いいよ。同じ隊になった記念に、ね」 表面は自身のファンに喜んで、しかし機嫌のいいルイスは少年の要望に承諾した。 本来ならそんなパフォーマンスは絶対にしない。ファンサービスという媚は嫌いだからだ。 だがそれを曲げてもいい程度に、彼は最高にご機嫌だった。 彼の目的が、すぐ傍にある。もうすぐに彼の最初の望みが叶う。 (ああ。この近くに『彼』がいる・・・・・・) それだけで、恍惚が胸を広がる感覚に、ルイスは身を委ねていた。 ***** 何事もなくカーペンタリア港に辿り着き、ミネルバが修理されている間に、世界の情勢は急速に変化していた。 連合軍は報復という名の強行作戦を行い、プラントに核を落とした。完全に全面戦争に持ち込んだのは、連合軍からだった。 血のバレンタインから、彼らはまったく変わらない。 ただの醜悪さしか感じられないその行為に、プラント政権はもはや融和などと悠長なことは言っていられなくなった。ザフトの領海強化は当然のことで、もはや一触即発状態にある。 そしてオーブすらも、その流れを阻むことはできなかった。 ミネルバが出港する原因となった大西洋連邦との世界安全保障条約加盟に、とうとうオーブは正式に承諾してしまったのだ。 しかし、その調印式にはカガリの姿がなかった。 カガリは現在、消息不明だ。それも、アークエンジェルによって攫われたという情報だった。 ユウナ・ロマ・セイランとの結婚式の最中に、突如現れた『フリーダム』とアークエンジェルに攫われたのだという。 国の代表が攫われ、政権はセイラン家が持つこととなった。もともと大西洋連邦寄りだったセイラン家の手により、オーブは完全に中立という立場を放棄した。 おそらく、俺が知っているオーブという国は、ウズミ様が亡くなられた瞬間になくなってしまっていたのだろう。 その遺志を継ぐカガリが孤軍奮闘し、大戦終結へと導いた英雄の1人として扱われたため、それでも1年間何とかなっていた。 けれど、カガリはまだすべてを背負うには力も知識も経験も足りなかった。おそらくだが、味方も少なかったのではないだろうか。 ふと、別れ際に言ったことを思い出した。あの時は知らなかったとはいえ、カガリには相当堪えたんじゃないだろうか。 ウズミ様と共に死んでいった指導者たちは、あの場で散るにはまだ早すぎたのだ。 過去は変えられない。批難したところでもう失われた命は戻ってこない。 孤立した立場で、カガリはよく頑張っていたのだと思う。 (でも、攫うのはどうかと思うぞ・・・キラ) 非常事態とはいえ、犯罪に手を染めた兄の奇行を憂いてしまう。考えればもっと他のやり方があったと思うのに。 オーブの理念そのものであるカガリが受容していないと言うことは政治的に大切だろうが、一般大衆からは対して変わらない。 むしろカガリは国民を捨てたと思われても仕方がなかった。 これが正式な加盟の前にカガリが帰ってきたなら、また流れは変わっただろう。 しかし現実は大西洋連邦に乗っ取られた形にまで進んでしまった。これでオーブがプラントとの戦闘にまで介入した時は、もはや終わりだ。 早くどうにかしなければならないのに、オーブの状況を打開するのは、今現在は難しかった。 オーブ国民のコーディネーターのほとんどがプラントへ疎開していたのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。 残されたコーディネーターが迫害を受けていないといいと思う。 国民がそこまで落ちるとは思わないけど、今の政府の対応は未知数だ。 プラントと敵対することになったせいで、オーブに簡単に帰ることもできなくなった。 もうオーブに関してはアークエンジェルを信じるしかない。 今俺にできるのは、何もない。手をこまねくだけなのは歯痒かった。 それでも、すぐ何かあれば動けるように、退役の手続きの書類だけは作成しておいた。 作成していた時、シンに罵倒されたことを思い出した。まるでシンに言われて、のような感覚があったが、これは逃げているわけじゃない。 「辞めてしまえ」と言われた後だから、そう感じてしまうのは仕方がないけれど。 基地内部に設置された商店を見ながら、消耗品や今日の昼食をどうするかと歩いている中で、今までとこれからを考える。 周りには誰もいない。ルナマリアとメイリンは一緒に買い物を満喫しているし、シンもどこかに行ってしまった。 あれからシンとは微妙な状態だ。お互いにあの時のことは謝ったけど、それじゃ根本的解決にはならないこともわかっている。 でも俺はどうしてもシンに本当のことを言えずにいる。シンはそれに対してずっとやきもきしているが、それでももう言ってくることはなかった。 言えないっていうより、何から言えばいいのかわからないっていうことも・・・あるか。 まだまだ悩みは尽きないけど、俺がどうしたいのかはわかってきた。 まずはこの戦争を止めることが必要だ。 俺だけでどうにかできる訳ではないけど、今の立場でできることをするしかない。 ふと、どこかからピアノの旋律が流れて来た。 音の方向へ足を進めると、開店前のレストラン内で、レイがピアノを弾いている姿があった。 優しくて切ないようなメロディだ。弾いているレイの表情はどこか楽しそうで、好きなんだろうことが見てとれた。 曲が終わると、レイがこちらに気付いて視線を向けた。 さっきまでの柔らかさから一変、いつもの無表情だ。 手を上げて挨拶すると、レイはピアノから俺の方へとやってきた。レイが自分から俺の方に来るなんて、珍しい。 「何か用か」 「ああ。ごめん。綺麗な曲だったから」 そうか。俺が用事って言うのもあるのか。 お互い干渉しあうのは重要時が多いせいできっとそう思ったんだろう。 興味本位だったと言えば、レイはやや眉をひそめつつも、何も言わずに傍にいて、俺たちは自然と同じ方向に歩きだした。 なんだかレイの様子が柔らかい。昔のツンケンしていた頃からはとても考えられない状態だ。 レイに受け入れられていることが嬉しくなる。例えるなら懐かなかった動物が懐いてくれたみたいな感じだろうか。 「そうだ、レイは昼どうする?」 「適当にするさ」 「・・・適当かあ」 昼をどうするか決めかねていたのを思い出して、レイに振ると、そっけない返答が返ってきた。 そういえばと、レイはあまり食にこだわりがないのを思い出して、選択ミスだと気付いた。自力で考えよう。 せっかくの料理らしい料理を食べれる時だから、フードショップで思いついたものを注文しようかな。 一緒にいるんだからとレイを誘ってみると、あっさり承諾してくれた。 連れだってフードショップに行き、入り口にあるメニューを睨んで、迷っていると、レイが話し掛けてきた。 「吹っ切れたな」 「・・・そう見えるか?」 一瞬間を置いて聞き返すと、「最近のお前は腑抜けていたからな」と辛辣な言葉を頂いた。 色々上の空だったし、悩んで空回りしていたから、返す言葉もない。 迷いは闘う上で自分の死に繋がると口酸っぱく言っていたのはレイだ。 俺の姿はレイには迷惑だったのだろうと思うと、謝らずにはいられなかった。 「ごめん。色々迷惑かけたよな」 「俺には何もないさ。だがシンには負担だっただろうな」 レイは客観的に言ったのだろうが、俺にはずきりと突き刺さる。 地球に降りた後、性能の問題で動き回れるのは俺たち2人だけだったからそうなるだろう。 シンの猛攻がなければ全滅していたかもしれないのは、ついこの間だ。 「・・・うん」 俺は本当に、軍人として向いてないんだろう。 「ひょっとしたら、近いうちに退役するかもしれない」 兄の傷を知るために俺はザフトに入隊した。それは軍人でいるには薄すぎる動機だ。 それでもここにいる意味は、あったと思っている。 だけど、目指すものがわかって、そんな自己満足に浸る場合でなくなった今、もう軍にいる必要はないと感じていた。 「議長に会える目処がたったら、だけどさ」 自分が目指すものは本当に途方も無い。今は夢物語と言われてもいい話だ。 動くにしても今は最悪だ。議長に会えたとしても、希望通りになるのは不可能だろう。 そうわかっていても、止まる気はないけど。 「お前には、為したい未来があるんだな」 レイは、俺を少しの間見つめて、ぽつりと呟いた。 「やれるのかは、難しいけどな」 不器用に笑って答える。 レイは相変わらず無表情に近い。 「だが動かなければ、そこには行けない」 でも、その眼差しには否定するものは見えなくて。それが嬉しかった。 「なんかレイ、丸くなったよな」 言った瞬間に。自分の言葉が間違えたことに気付く。 「違うか。レイが仲間として接してくれるなんて、思わなかった」 怪訝な顔をしていたレイの顔が、ふいと反らされる。 「仲間と張り合っても、仕方ないだろう」 レイの態度が嬉しくて、俺の表情は崩れた。すぐにレイに冷たい目を向けられたけど、収まることはできそうになかった。 そして、あの馬鹿がミネルバにやってきたのは、そのすぐ後のことだった。 よりによって、フェイスとして復隊して。 |