世界にはいくつもの闇があって、 その中へと引き込まれてしまったら、戻ることを考えることもできないくらい深くへ引き擦り込まれてしまうんだって知ったのは、いつだっただろう。 それでも空高くに見える光を求めて縋り付いてしまう自分を、いつ知ったんだろう。 もう何もしたくないと、流れに任せてしまえと考えて、僕はそれでも無意識に見上げる。 あの世界にいた頃を夢見て、絶望して、僕の願いを叶えてくれる存在を待ち望んでいる。 「クソ兄貴クソ兄貴クソ兄貴クソ兄貴クソ兄貴クソ兄貴クソ兄貴クソ兄貴」 カガリに連れられた食堂で、俺は完全に腐っていた。 茹でたパスタに塩とオイルとパセリしかまぶしてないスパゲッティを、呪いをかけながらフォークで絡め取って食べる。 その正面で、ミックスサンドを咥えたカガリが溜息を吐いた。付き合うのが馬鹿らしくなったのかもしれない。 「お前ってあれな。中身ぜんっぜんキラに似てないのな」 「似ててたまるかっあんな女々しい奴っ」 「そうはっきり言える所も似てないよな」 まあ、あいつの場合言う時は大体うっかり発言になるんだけどな。と付け足すカガリに俺もしみじみと同意する。 あいつの爆弾発言に何人が泣かされたか。天然って奴は末恐ろしいと思ったもんだ。 あれから俺は一応素直に帰った。 煮えくり返って仕方ないのを、暴れたいのを我慢するのは本当に体に悪い。 怒鳴り散らす時に乗り込んでも良かったんだけどな!! キラ殴り飛ばして機材が下手なことになったら嫌だからな!! 母さんたちのところに一度帰ったけど、ウズミ様がまだいらして入るには入れなくて、伝言を紙に書いて渡してから、俺と付き合ってくれるカガリは食堂に来た、というわけだ。 そして今まで、俺の心は荒んだままだ。 「で、本当に良いのか?私が話しても」 カガリの服装は、いつの間にかラフなシャツとカーゴパンツという服になっていた。 あの正装は必要だったから着ていただけなんだそうで、本当は堅苦しい服を身にまとうのは嫌いらしい。 「いいんだよ。どうせ今あいつに詰め寄ったって何も出てこない。だったら他の奴に聞くしかないじゃないか。 それに。あいつは『俺に何も言うな』って言わなかっただろう。だから聞いても良いんだよ」 「それってどういう・・・」 「あいつにも俺の行動なんて丸分かりだってことだ」 兄弟だからな。良いところも悪いところも、行動の仕方も良く知ってる。 近くにいる時は離れることがほとんどなかったからな。主にキラが。 アホだブラコンだ甘えっ子だなんだと俺自身暴言を吐くが、あいつが優秀だっていうのは良く分かってるし、観察力があるのも知ってる。 俺への愛情が盲目的になっても、俺への客観的視点が見えなくなるような馬鹿ではないということだ。 「おまえたち兄弟はお互いのことを理解しあっているんだな」 そう言って、カガリは微笑んだ。 慈しむような、寂しそうな笑みだなと思う。 「羨ましいな。兄弟がいるというのは。私は一人っ子だから、兄弟がいることに憧れる」 ああ、そういうことかと頷いて、俺は肩を竦ませた。 「あんな兄貴で良いならノシつけてあげますけどね」 「うーん。キラも悪くはないがな。兄にはならんな。弟ならお前の方が楽しそうだ」 「ええ?」 「そうだ。いっそ私の弟になれ。キラと取り合いしたら楽しそうだぞ」 「・・・・・・・・・勘弁してくれ」 「ははっ ま、お前にしたら迷惑な話か」 「取り合いが、な」 もし事実、カガリが姉でも折り合いはよかったんじゃないかと思う。 キラもカガリとは一目置いているようだし、俺も会って一日だがこの人のことは嫌いじゃない。 こうしていても嫌味なんて感じないし、緊張もしない。そういう人は稀な存在だ。 ・・・・もし本当になったとして、なんだか俺の苦労が増えそうな予感がするのが嫌だが。 俺の付け足しに、カガリが薄く笑む。 そのまま目線は遠くなって、カガリは少し離れた窓の外を仰ぎ見た。 「さて・・・どこから話せば良いかな・・・」 私は世界を変えることを、望んでいたのだろうか。 それとも争いの火中に投げ込まれたくなかったからだろうか。 一つ言えることは、あの時の私は国の、家族の、自分の、信じたかったこと、信じたくなかったことを確認しに行ったんだ。 その目で見なければ信じない性質だから。私は確かめに行った。 そうして偶然的に知り合ってしまった彼が、一瞬通り過ぎただけの名前も知らない彼が。 その汚名とも言うべきあれに乗って、再びまみえた時、私はとても恥ずかしく、彼へと憤りをぶつけてしまった。 「戦わないで、何が守れる!」 そう言った彼。 苦しそうに吐きすてたあいつ。 自分も戦っている、同じ境遇だったせいか、私はあの言葉を流した。 彼の態度の方が気にかかったからだ。 でも、今思えば、あれは彼が最初に見せた悲鳴だったのかもしれない。 自分の境遇を呪い、諦める言葉だったんじゃないだろうか。 見れば見るほど、周囲とあいつの歪さは謙虚になる。 それが最も死地に近い場所にいるからか、コーディネイターだからか。 ほんの少し前までただ平和に暮らしていただけの少年が、望まない戦いに投じられて、足掻き続けて。 生き残ってこれたのは、確かに彼の優秀さと運のおかげだろうけれど。 彼は戦えば戦うほど、彼自身がどんどん歪になっていく。 仲間と呼べる者たちすら、彼への態度が歪んで。 戦場を仕事とする者たちは、彼が同類だと思い込んで。 蹲る彼を、俯く彼を、項垂れる彼を、諦めた彼を、何度見たんだろう。何度気にかけただろう。 守らなければみんなが死ぬと。 自分がやらないなら誰がやるんだと。 彼は自分に言い聞かせて。 言い聞かせた自分が自分を追い込んで。 そんな彼を周囲は気にも留めず。 あるいはどうすれば良いか分からず。 小さくなっていく彼は、見るに耐えなかった。 彼は巻き込まれた存在で。 彼は最強の護衛で。 彼は誰もが一目置く人間で。 彼はちっぽけな同い年の少年だ。 無理をする彼を、抱きしめてあやしたのはそう古くない。 いつ頃からか、彼は私に対しては笑顔を向けるようになっていた。 遠くを見る彼が、振り向いても痛ましい顔をすることが少なくなった。 素直で、馬鹿が付くほどお人好しなんだ。 だからこんなに巻き込まれて、抱え込んで。 お前がすることじゃないのにな。 「弟が、いるんだ」 いつだったか、彼はぽつぽつと語りだした。 「いっつもぶつぶつ言いながら僕の世話焼いてくれて。 どんな時でも、僕のことを理解してくれる、大切な弟。 あんまり僕にお兄ちゃんらしいことをさせてくれないのが、寂しいんだけどね。 カガリを見てると、時々ふっとあの子を思い出すんだ。 少し・・・・・似てるのかな? ぶっきらぼうなとことか、自然体で付き合ってくれるところとか。 さっき、撫でられた時も、ちょっと思い出しちゃった」 語る彼は幸せそうで、寂しそうで、どれだけ大切なのかがすぐに分かる。 「きっと、心配してると思う。絶対顔にも出してくれないけど。 こんな僕を知ったら、あの子は僕を思って苦しんでしまうのかな? それだけは、嫌だな。僕が苦しいのは耐えられるけど、あの子が苦しむのは見たくないよ」 大切な家族、大切なもの、帰りたいと願う場所。 彼にとっての心の拠り所。 だから闇を見せたいくないのも分かるけど。 「私なら、言ってくれた方が何倍もマシだけどな」 小さい頃から、代表の娘として父の背中を見てきた。 いつも優しい顔を向けてくれる父が、知らないところで顔を歪めているのは悲しかった。 何でも聞きたいと思った。たとえそれが自分なんかでは背負えないものでも。 一緒に悩んで、苦しんで、解決したいと思った。 とっぴな行動は、あのころに培われたのかもな。 「あの子も・・・殴ってそんなこと言いそう」 「私は別に殴ったりしないぞ」 「手は振りかぶりそうだよね」 「なんだと!?」 あの時言ったことを理解しているはずでも、あいつは自分から打ち明けることを選択しなかった。 他人に、私に任せた。 向き合うことを恐れた。 あんなに会いたがっていたのに、ろくに顔も見ていなかった。 私のお節介だったのかな。 「私が知っていることは、これで全部だ」 今までのキラの経緯を話し終えて、喉を潤すためにカップに口をつけた。 そう長い話をしたわけでもないが、喋り通しは疲れるものだ。 話を聞いていたの顔は、渋い。濃い目のお茶を飲んでもこうはならないだろう。 はしばらくそのまま俯いた後、溜息を吐いて頭を掻いた。 ぶつぶつ何かを言っているようだが、私には聞き取れない。 信じられないのは山々だろう。それまでそんな環境と無縁の、別世界にいたんだから。 でも、それもたった一枚の壁でしか隔てられていないのが、この世界なんだ。 外側を変えなければ、戦争を終わせれば、この壁はなくなるのに。 悲しい事なんて起きやしないのに。 「・・・・・・・ありがとう。カガリさん」 「ん?」 ぼんやりしていた所に声をかけられて振り向くと、ようやく顔を上げたがこちらを向いていた。 その顔は、笑顔になりきれていなかったけれど。 「キラのこと、心配してくれてありがとうございます」 「私は別に・・・・あいつはあからさま過ぎなんだ。うん」 照れ隠しにそういえば、はゆるりと首を振って。 「多分キラは、あなたに救われていたはずだから」 そう言った。 「あいつは、自分を思ってくれる奴を大切にするからさ。たとえそれがどういう感情でも」 言われて、いつもあいつと一緒にいようとする赤い髪の少女を思い出した。 ・・・たしか、フレイだっけ・・ キラは彼女を大切にしていたし、彼女もキラに執着していた。 恋人同士かなって思ったときもあったっけか。 「誰が心配しても、あいつはどこかで遠慮するからさ。甘えんぼのくせに。 だから、あなたみたいな人が傍にいてくれて、よかった。ありがとう」 なんだか顔が熱くなる。 別に告白されたわけでもないのに気恥ずかしくなって、私は無意識に手を仰いだ。 目の前の少年がさっきまでの子供染みた表情も仕草もしないから、なんか調子が崩れるんだ。 そうだそうに違いない。 「敬語はなくていいって言ったろ?それに呼び捨てでいいって」 「あ〜・・・でも一応身分違うわけだし」 「私がそんなことを気にすると思うか?そうだな・・・なんなら姉さんと呼ぶか?」 「は・・・はぁ?」 年相応の顔が現れて、私は内心ほっとしてしまった。 これでいつもの調子に戻れそうだ。 ・・・・いつもって何だろうか。 私は年下に振り回されていたのか。 ポカンと口を開ける彼と、自分がおかしくて笑ってしまった。 すると彼は自分が笑われたのかと思って口を尖らせる。 やけにその仕草がかわいくて、私は更に笑った。 「やっぱり弟ならお前が良い。うん」 「・・・・・遠慮するよ」 「なにおう!」 そういえばまだ会って1日もたってないんだよな。 それなのに打ち解けている自分達が自然すぎて、昔から一緒にいた気分にさせられた。 この兄弟は本当に、不思議だな。 あんなことを言ってはみたけど・・・・俺は、どうすりゃ良いんだろう。 カガリと別れてから、俺はあても無く歩いていた。 また会いに行って今度も殴るって言って別れたけど、とてもそんな気分にはならない。 (・・・聞かなきゃよかったかな・・・) カガリから聞かされて、俺は即行後悔した。 とりあえず平気な顔もできたけど、ああくそ。本当に聞くんじゃなかった。 キラになんて言えばいいのか、分からなくなっちまった。 想像もつかない場所で、あいつは苦しんでいたんだ。 その苦しみが何か分かっても、それを知らないから今の俺にはちんけなセリフしか浮かばない。 俺ができることが無い。 今あいつにしてやれることって、なんだろう? 傍にいたって、結局あいつはすぐにここを出なきゃいけないんだ。 慰めたって、何かが終わるわけでもないし。 元気付けるったって、何を元気付ければ良いんだ。 それよりも、向かい合わせた時に、ちゃんと話ができるんだろうか。 (やってらんね・・・) 理解してるなんて、とんだ嘘っぱちだな。 うぬぼれもいいとこだ。 こんなに頭をフル回転させてるのに、何一つ浮かびやしないじゃないか。 それとも、あいつ。 俺がこうなるって分かってたのか? 気まずくなって来ないことを予想してたのか。 話を聞いても、聞かなくても、あいつにとってはどっちでも良かったってことなのか? 来れなくなるって見越して? 重い足取りで向かったのは最初に見た戦艦のドック。 カガリに、これがキラたち連合が乗ってきた船だと告げられた。 これに乗って、キラは戦って、生き抜いてきた。 最初に見て気付いた傷跡が、今は背筋を冷たく撫でる。 どんな兵器が、キラを襲ったんだろう。 足が止まって、俺は垂れかかる髪をぐしゃりと手で潰した。 足はどっちにも動かない。 意地になって来たけど、何も考えつかねえよ。 誰か教えてくれよ。俺はどうすりゃ良いんだ。 何をすればあいつは救われるんだ。 「おい。大丈夫か?」 いつの間にかうずくまっていた俺に、誰かが声をかけてきて、顔を上げた。 オレンジ色の作業着を着た、ブロンドの髪のがたいの良い優男がこっちを覗き込んでいる。 「具合でも、悪いのか?」 「いえ・・・すみません」 心配してくるその人から、俺は立ち上がって一歩下がった。 「・・・こんなところで、何してるんだ?軍人って訳じゃないだろう?」 その人は俺の態度にも気にせず、安心させるような笑顔を作って話しかけてきた。 まあ、見えたら可笑しいよな。私服だし。ガキだし・・・ つと、ずっと首に引っ掛けていたパスに手が伸びる。 貰った時はいろんなとこをがさ入れしてやる〜って考えてたのに、今はそんな気も起きねえや。 「兄に、会いに来たんですけどね。待ってる間、ちょっと用を足しに行ったらうっかり迷ったんです。 もう時間的に・・・間に合わないかも」 適当に言い繕って、この場を凌ごうと嘘を並べる。 会えないんじゃなくて、会いたくないってのが本音だろ。 なんて、自分で自嘲する。 「ふうん。あいつらの家族か。名前は?なんなら連れてってやろうか?」 「いえ。いいです。後で母さんたちに元気だったか聞くんで」 聞けるわけねえじゃん。母さんたちも会ってないんだし。 むしろ俺が言う方だろ。・・・・無事だったって。 無事・・・・なのかな? 体は無事でも、あいつ、あんなに泣きまくってたのに。 あれでも無事って言えるのかな? 「なんで・・・・なんでこんなことになってんだ・・っ・・」 そんなことを考えた先に、つい口をついてしまった言葉の上に、雫まで落ちた。 「会うことができたら元の生活がまた始まるんだって、そう思ってたのにっ・・・なんでっ・・・・」 ぼろぼろぼろぼろ。涙が零れて止まらない。 まるでさっきのキラみたいだ。 なんでなんでなんでなんで。 疑問ばっかり代わる代わる回る。 誰も教えてくれないんだ。誰も何も教えてくれないんだ。 問い無き問いに、答えなんて出ないから。 何を知ったって今は、何も変えやしないから。 「悪かった・・・」 頭に置かれた暖かいものが、そのまま少し乱暴に撫でてくる。 目の前の人が撫でているんだと分かって。でもそれを払いのけようとは思わなかった。 「本当に・・・すまない」 その人の声も、苦しくて。 その人を責めたって、なんにも変わらないって、分かって。 だったら、身をゆだねた方が何倍も軽くなると思って、俺は撫でられるまま涙を零した。 「絶対、無事に帰すから。俺が」 「本当にできる約束以外は、しないほうがいいですよ」 また聞き分けの言い自分が顔を出して取り繕う。 罵倒されるより、こっちの方が痛いって分かるのに。 「でも、お願いします」 どうか彼を守って。 家族のところに返して。 「できる限りでいいから、あいつを、キラを、守ってください」 不可能だって分かっても、言わずにはいられなかった。 「キラ・・・の・・・?」 男の人は瞠目して、俺を見た。 それからゆっくりと目を閉じて、「わかった」と頷いた。 俺はその人に笑みを見せて、今度こそそこから逃げ出した。 いられなかった。 今の俺があいつの近くでいていい場所が、見つからなかった。 外に出て見えた、だいぶ前から傾き始めた太陽は、まだ青い空の中にいた。 |