僕が記憶喪失になってから、だいぶたった。

忘れたことが多くて、きっとつらいだろうと思った生活は、それほど不自由はなく過ごすことができている。
優遇された対応だとか、周りの支援のおかげだと思って、とても感謝している。

実はもう、僕は僕自身にまつわる記憶については、それほど執着していない。
みんなとても優しくて、今までの自分なんてどうでもよくなるくらいには、満たされている。


でも、ただ一人だけ。どうしても、気になっている。

僕の弟である彼、だけは、気になって気になって仕方なくて。



目が覚めて、彼を見たときに心の中に生まれた感覚は、色鮮やかに僕の中に痛みのあるしこりとして残っていた。
弟だから、と思うには無理のある、親しみよりも強烈な彼への気持ち。

それが一体何なのかがわからなくて、僕は戸惑った。

記憶喪失とわかってから今の生活に慣れるまでは、僕自身が精神的に不安定だったせいで、僕の違和感には誰も気が付かなかったけれど。

彼と一緒にいることで湧いてくる気持ちは日増しに大きくなるばかりで、どうしてこんなになるのかがいつまでたってもわからなかった。



一体彼は、僕にとっての何だったのだろうか。







  <兄が諸々の事情で記憶喪失になりました 4>








「それで、俺に昔のことを聞きたいって?」
「うん」

仕事の休憩中に偶然出会ったアスランを捕まえて、僕は悩みを打ち明けた。

アスランは少し渋っていたけれど、最後まで話を聞いて、そう切り出した。

「別にお前たちのことを話すのは構わないが・・・おばさんやおじさんに聞こうとは思わなかったのか?」
「うん・・・そうなんだけどね。いつ彼に聞かれるかわからない環境っていうのも、ちょっと・・・」

彼の陰口をするわけじゃないけれど、彼のことを聞いていることが知られるのはどうにも面映ゆい。

「どうしてを見ると抱きしめたくなるのかな?とか、笑った顔が胸に刺さってすっごく苦しくなったりとか、そういうのを親であるだろう人に相談するのも、違うと思うし」
「あ、ああ・・・・・・??」

僕の呟きに、アスランがひきつった顔をした。

「そういうことを俺に言うのはどうなんだ?」
「アスランならいいかなーって、なんとなく」
「・・・・そうか」

だいぶ疲れたため息を吐いて、アスランは続きを促す。
そして僕は、本題に入ることにした。

「なんかね、物足りないんだ」
「何がだ?」
「うん。彼が、笑ってるのも、優しくしてくれるのも、すっごくうれしいんだけど・・・・・・なんかパンチが足りないっていうか・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もっと殴ってほしいっていうか」


妙な沈黙が流れたのは、仕方がないことだと思う。


自分でも何言ってるんだ僕はって思うからね。


「僕って、Mだったの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・いや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちがうと・・・・・・・・・・・・・・・・・思うぞ??」



戸惑いを隠さない僕の友人は、正気を取り戻すのに時間がかかりそうだった。