<願う少女と少年が邂逅した日> それは、パナマへ行く途中だったアークエンジェルが、オーブに停泊していた頃のこと。 が我儘を言って―――というより親に置いていかれてというほうが正しいだろうか。オノゴロ基地に世話になっていた頃の話である。 兄であるキラとの再会を果たして数日。はシモンズにキラが忘れたUSBを渡してくるようにと持たされた。 オノゴロの基地内はもう慣れたもので、巡回しているオーブの兵士も、に対しての追及などしてこない。制服のツナギを着ているものの、の容姿は明らかに少年だ。それが看過されているのはおそらくウズミ・ナラ・アスハ代表首長のたまものなのだろう。 アークエンジェルが停泊している建物に入り、モビルスーツを修理しているドッグに向かう。アークエンジェルのクルー全員に出会ったわけではないが、向かう場所が船内ではなかったおかげで、多少は見知っている整備員には、セラを不審に思って咎めてくる人間はいなかった。 一番最初に目についた整備員にキラの居場所を尋ねて、『ストライク』の所だと聞き、その場所に向かう途中。は彼女と出会った。 連邦のモビルスーツの前にたたずむ少女。年はほとんどと変わらないだろう。長い黒髪を二つに結び、感情の見えずらい蒼い瞳をモビルスーツに向けている。少女は、一目見ても分かるほど整った顔をしていた。 はその少女から目を離せなかった。彼女に見惚れていたというものもそうだが、それよりも彼女の表情が気になって仕方なかった。その横顔はとても綺麗なのに、憂いを帯びて、どこか儚い。 その姿は兄と重なり、自分には理解できない苦悩があると胸に刺さる。 「なんですか?あなたは」 気持ちを別のことに向けていたせいで、少女がに気付き訝るまで、気付くことができなかった。 飛ばしていた思考を戻そうとしても、慌てていてはうまく纏まらない。無意味な音で喉を鳴らして、この場を済ます説明をしようとしたが、少女には遅かったらしい。 「誰が入ることを許可したんですか」と苛立つ様に言い放って、へと詰め寄ってくる。 早く言おうとすればするほど言葉は詰まる。それに救いの手を差し伸べてきたのは、コジローだった。 「なんだ。嬢ちゃんは知らなかったのか? そいつは坊主の弟だよ」 こっちでもそれで通ってしまうのはどうなんだろう。とは思いつつも、他に言いようもない。 「あ、兄がいつもお世話になっています。・ヤマトです」 へ冷たく視線を送る少女の態度は、一向に変わる気配はない。そんなことを聞いても、彼女にはまったく理由にはならないのだろうとは思った。 早くキラの所に行って用事を済ませてしまいたい。 その願いが届いたのか、あるいは弟の気配を感じ取ってきたのか、キラがその場に駆けつけたのは、にとって幸運だった。 「!?」 弟の姿を見つけて驚くキラに、はホッと緊張の糸が少し緩むのを感じた。 「え、どうしたの?なんで」 「忘れ物、届けに来たんだよ」 キラへUSBを掲げると、「あっ、そっか・・・」と納得してキラは頷いた。 これでの役目は終わりだ。 「こんなところまで、ありがとう」 「じゃあ、もう戻るから」 「あ、待って!せっかく来たんだからゆっくりしていこうよ」 早々に帰ろうとするを、キラが引き留めた。 弟に対して執着以上の愛を注いでいるのだから、その行動は予想していた。ここに来る前までは、どうせそうなるだろうと思って付き合う気でいたが、今はあまり気がのらない。 「いや・・・あのな、」 キラに視線で促す。しかしキラは「大丈夫」と一言頷いた。の腕を取って引き寄せ、少女の方へと顔を向ける。 「。この子を僕に付き添わせるけど、構わないよね」 と呼ばれた少女は、冷たい視線の中にやや困惑したような色をにじませて、キラを促した。 「説明してください」 「うん。この子はね。僕の癒しなんだ」 「――――癒し?」 「そう。癒し。この子がいないと何にもできなくなるくらい。僕の心の動力装置」 真顔で言いきるキラが痛い。こんなことで納得するような印象は見られないのだが。 「・・・・・なら、仕方ない・・・・・・ですね」 「ありがとう。」 納得しちゃったよ。 ついは心の中で空を仰いだ。 これは果たしてキラの大衆への認識のせいなのか。そうなのか。やはりいずれ精神科に突っ込んで診てもらった方がいいのだろうか。 そんなモヤモヤ考えているだが、実際、は考えているほど冷酷でもなければ、頭が固くもない。 家族を思いやり、仲間を案じて思いやりを持つことができる、素直な少女なのだ。軍人という縛りが彼女に自分を律することを強要させているが、本来はとても心やさしい、可愛らしい少女である。 「、紹介するね。彼女は・。アークエンジェルの正規パイロットだよ」 キラに改めて互いのことを紹介されて、お互いに軽く頭を下げる。紹介されたの経歴に、は瞠目した。 軍服に身を包んでいるから、ひょっとしたらキラと同じ境遇なのかと考えていたが、違うようだ。と、には知るよしもないのだが、キラの着ている士官候補生の青い服とは違い、の着ている白服は階位を持った軍人であることを示していた。 「それで、キラはあと何をするんですか?」 「えーと。火器類のコネクトとマッチングかな。は?」 「もう終わってます」 「さすがだね。じゃあ後で」 会話を切って別れ、はキラに連れられて、キラの雑用の見学をした。 基本は真面目に作業をするキラだが、弟馬鹿はどこまでも発揮され、時折ひっついて作業を中断するキラをど突いて引き戻すのがの主な仕事になった。 作業が滞りなく終わり、休憩になってからが合流してきたのは、にとっては意外だった。 ごく普通に接するキラと、それに応える。砕けた二人の会話は、仲がいいことを顕していた。 キラにとってアークエンジェルにいることはマイナス面ばかりなのではと思っていただが、こうして打ち解けて他愛もない話ができる人がいることを知って、少し安心した。 ふと、がを見た。がほっと安心してキラを見つめる様子が気になったからだ。 見つめられたのを感じたはその笑みを変えて、不思議そうにを見つめている。 しかし、ここにはそれを長く続けさせない人物がいる。 「いくらでも・・・・駄目だからね」 「は?」 地を這うように低い声で言い放ったキラの目は据わっていた。嫉妬に狂った女の狂気よりもなお酷い。そこには誑かそうとする相手に対する、殺意よりも濃い殺意と、愛するものへの執着など生易しいレベルの妄執が生んだ、愛憎の権化が佇んでいる。 やや顎を上げて見下すキラの視線には、精気がまったく感じられなかった。 怖い。ただひたすら怖い。 は身ぶるいに襲われ、もその殺意を受け止めて体が動けなくなっていた。 「はあげないから。婿になんてさせないから。嫁入りも許さないから」 呪詛の言葉を放ちながらを抱きよせて牽制するキラ。 この飛びっぷりに、はふと過去を思い出した。キラの態度は、いつだったか自分へ思いを寄せていた女の子がいた時と全く同じだった。平身低頭謝り倒し泣いて逃げた女の子には本当に悪いことをしたと思う。 その後女の子は2度と半径5m以上に近寄ろうとしなかったことも、とても苦い思い出だ。 「あの・・何を言っているんですか?」 困惑するの突っ込みは、限りなくまっとうだった。そもそもはに視線を向けただけなのだ。たったそれだけで攻撃されるのなら、すれ違って触れただけで殺されてしまう。 だがこの色ボケのすぎた偏愛の盲目者には何も耳に入らない。 これが戦闘に嘆き、心を壊しかけていた少年と同一人物なのかと、は途方に暮れた。 へ視線を送っていたのをに変えたキラの目は、暗い目から一転して、恋慕と慈愛の溢れた瞳になった。恋にときめく乙女な姿に変わったそのギャップがまた恐ろしい。 「も。ね?駄目って言ってるでしょ?の魅了スキルは半端ないんだから。女の子と目を合わせちゃいけないんだよ?」 「意味がわからん」 キラの猫撫で声の説得を、は渾身の一撃を拳に込めてキラを殴って切り捨てた。 それ以外にキラを引き戻す方法が見つからなかった。何より気持ち悪過ぎて一度殴らないと気が済まなかった。 あの状態を長時間周囲に蒔かれるのは、公害以外の何物でもない。 はたしての一撃でキラの狂ったオーラは霧散し、キラは正気を取り戻したようだった。抱きよせていた手を離してうずくまり、宙にのの字を描いていじけてしまう。 「そりゃ・・・が本気で好きになって僕と戦うなんて言い出したら・・・しょうがないけどさ・・・・でもは僕のだもの。ずっと一緒にいたいんだ。一緒にいていいでしょう?ずっと傍にいさせてほしいよ・・」 しょぼしょぼいじいじ萎れているキラは、さっきとは打って変わって今にも死にそうに見える。 「・・・・・・・・・・・・・・お前ってやつは・・・・・」 ころころ変わる兄の態度がすべて自分に直結しているのかと思うと、頭を抱えてしまう。 「ごめんさん。こいつ本当アホで」 「いえ」 キラを押しやって、迷惑をかけてしまったへ頭を下げると、少しの間はあったがはっきりと気にしなくていいと伺える返事が返ってきた。 「すこし、うらやましいなって思いました」 大切な家族はにいる。愛されてもいるとわかっている。けれどこうして年の近い兄弟姉妹はいないには、羨ましいと思えた。さすがに異常に愛を注がれることは遠慮したいが。 弟や妹がいたら私も可愛がるんでしょうかと、想像して、ふと口元がほころぶ。 そのかすかな笑みは、を安心させるには十分だった。 その後は他愛もない話をして、盛り上がるくらいには親しくなれたのだろう。 は軍事的な話になるとあまり触れて欲しくないように表情を変えたので、それには触れずにお互いの家族のことなどを話した。 休憩時間が終わり、ももう用はない。おそらくもうここにお邪魔することもないだろう。 「今日はありがとうございました」とが言うと、も「私も楽しかったです」と言ってくれた。 「キラのこと、よろしくお願いします」 もう何回言ったか分からない言葉だ。彼の安否を心配する家族として、言わずにはいられなかった。 はそれにも「はい」と頷く。 自分と年の変わらない少女。なのに戦場に身を置いて、戦おうとしている。それは彼女の意思なのだろうことは話しているうちに分かった。 「でも」 は付け足して、の身を案じた。 「さんも、自分を傷つけてまで無理しないで欲しい、かな」 辛く苦しいとわかっていても選んだことを否定はしないけれど、そのせいで人生を、自分を、台無しにはしてほしくない。 は目を見張って。 「・・・ありがとう」 ふわりと柔らかく、淡い花の様にほほ笑んだ。 「なに? 何! ダメだからねっ!嫌だからねっ!」 キラが間に入り込んで妨害し、は無言でキラを黙らせた。 表情に出したつもりはなかったのだが、に対して感情が揺れたのを察知されたのは、さすがとしか言いようがない。 そんなに必死にならなくても、このどうしようもない兄の世話をやめる気はないのに。臆病にもほどがある。 それから、数日後。アークエンジェルは出港し、やはりその間にとはち会うことはなかった。 その後の彼女がどうなったのか。がそれを知るのは大戦の後。 再び出会う、その時に――――――― |