走る。 奔る。 疾る。 戻らなくてはいけない。 戻らなきゃダメだ。 今ここでできること。 今ここでやりたいこと。 今も昔も変わらずにある俺自身の意思のために。 <それはただ、寂寞の想い> 月明かりしかない夜の道を、ただひたすらに走り続ける。 今、俺は、スクールのマラソンでも走ったことのない長距離を走り続けている。 コンクリートの道を蹴る足が、痛くなっていることは自覚していた。 空港から夜中ずっと走り続けているんだ。足も悲鳴を上げていた。 事実、血豆ができて靴の中はだいぶ前から不快なことになっていた。 それでも、そんなこと気にしてられないほど俺の心は馳せていて。 心だけが、望みの場所へ向かうために今いる数十メートル先を走っている。 あの後、オノゴロ空港へ着いた車から、俺は何とか監視の目を振り切って脱走した。 逃げ出す時、キラのせいで俺を監視するために着いた兵よりも、いつもなら頼りにできるストライクが、一番のネックとなった。 俺の安全を最優先と認識したあいつは、とにかく俺の傍を離れなかった。 それをなんとか説得しておつかいに出させて遠くへやり、兵の人にはトイレと称して脱走した。 はっきり言って、なんで成功したのか分からないくらいだ。 あんな安直な手で包囲網が抜けられるんだったら、連行犯も簡単に逃げられる気がする。 まあ。俺は一般市民として誘導されたからなんだろうけど。 オーブ軍教育に一抹の不安を抱える自分に呆れながら、地を駆ける。 ここまでで行程の半分くらいだろうか。まだまだ先があるんだろうか。 真っ暗で、星と月明かりしかない道をひたすら走る。 息は切れていた。腿もふくらはぎもパンパンだった。とにかく足の裏が痛かった。 それでも、走れなくてもとにかく進み続けた。 軍港から空港まで車で3時間。人の足だとどれくらいかかるんだ?あれは時速何キロで走ってたんだ? 間に合わないんじゃないか。そんな思いがふとよぎる。 それが嫌で足を動かす。 あいつのところに行かないといけない。 あいつの傍にいたい。 何よりも、誰が心配しても。 みんなが俺を責めても。 それでも俺は、キラといたいんだ。 情けなくなってくる。 体が辛くてたまらない。 たどり着けない不安で押しつぶされる。 そのせいで、涙があふれてくる。息がさらに苦しくなる。 それでも、まだ時間があるって言い聞かせて前へ進む。 それだけが俺の原動力だった。 だけど、それも限界に近かったらしい。 俺の脚はとうとう縺れ、情けなく倒れこんだ。 手に擦り傷ができて、頭も打ち付けたのか痛かった。 ペース配分ができていなかったせいだ。 マラソンでよく言う42.195キロだって、ちゃんとしたペースで走らなければ途中で脱落する。 それなのに、それよりはるかに遠い場所まで向かって、ほとんど全力疾走していたんだから、アホな話だ。 倒れて当たり前だ。 「っっ、げほっごほっ」 大量の酸素を求めて肺が動き、それに驚いて体が反応する。 息切れは段々と収まって、それと同時に疲労が体中を包んで眠気を起こさせる。 いや、眠気って言うより・・・・眩暈のせいで意識を失いそうだ。 喉もからからだし。腹も減ってきたし。 「・・・・・歩かなきゃ、だめだ」 でも、立ち止まっちゃダメなんだ。 ここで力尽きたら、俺はきっと、大切なものを失ってしまう。 そんな気がして、それだけがいやで。俺は起き上がって前へ進む。 大丈夫。まだ歩ける。 まだ俺は動ける。 コーディネイターなんだ。多少の無理くらい吹っ飛ばせる。 体力には自身がある。 空はいつの間にか月が落ち、赤く光り始めている。 焦りがある。駆け出したくなる。 それができないから、せめて一歩一歩確実に進み続ける。 そして、やっと遠くに薄くぼけた軍港が目に入ったのは、太陽が空高く上がろうとしている頃だった。 たどり着く前から、戦闘は始まっていた。 海上の戦闘が一番激しく、銃弾が飛び交っていて。 その間をモビルスーツやモビルアーマーが飛び交い、戦闘を繰り広げていた。 『ストライク』も『M1アストレイ』も飛行能力は付いていないから、ひとつはキラの乗っているあの青いモビルスーツ『フリーダム』だろう。そしておそらく他は、連合の・・・ 連合も、あんなのを開発してたのか・・! 劣勢なんじゃないかと背筋がヒヤリとする。 それでも軍内へはまだ戦火は届いていないらしく、遠くで音が鳴っているくらいだった。 戦場から目を離して入り口の近くで様子を伺うと、入場口は完全に閉じていた。 高い塀と同じ高い門によってさえぎられて、入り込めそうにない。 だったら・・・と俺は一方を取り囲んでいる丘山へ登り始めた。 崖に近い急斜面だけど、登れないわけじゃない。 駆け上がるのは体力的に無理でも、しっかりと上に上がる。 その間、押されているのか、轟音が段々近くへ寄ってきている気がした。 不安を振り切り、何とか登りきって周囲を見渡すと、海上では戦艦同士の長距離攻撃の戦い。陸路では『アストレイ』と『ストライク』が相手方のモビルスーツと戦っていた。 そして上空では、二対の敵を相手にキラが戦っていた。 上空を走る蒼い機体。 はやく、あそこに行かないといけない。 何かに導かれるままに、俺の脚はまた走りだす。 上空のそこへたどり着く為の道を知っているみたいに。 気のはやるままに俺の脚は動く。 と、前に4人の家族連れが走っていることに気が付いた。 逃げ遅れてしまったんだろうか。懸命に走って、停泊している避難戦へ向かっているみたいだ。 ふと、上を見る。斜め上を2機のモビルスーツが過ぎ去っていった。遠くで幾度か打ち合い、そしてまた別の方向へ向かっていく。 ひやり、とした。もしあれがここで始まっていたら、流れ弾がくるかもしれない。 「ぃやあ!」 女の子の悲鳴が聞こえて、前を向いた。 前方の家族が立ち止まっている。父親と母親は、はやく先へ行きたいと態度で示していたが、女の子が何か駄々をこねて進まないようだった。 そして、何があったのかと思う間に、その兄らしい、俺と同じくらいの奴が崖下へと下っていった。 近くでエンジン音が聞こえ始める。 まずい。寄ってくる! 俺は足を速めて、崖下を見つめる家族へ近付いた。 「何立ち止まってるんだ!流れ弾にぶち当たるぞ!」 叫びざま、一番俺側にいて、一番融通が気かなそうな女の子の腕を引っ張って引きずった。 その父親も母親も、その子も唖然となっていたけど、すぐに気をとりもどす。 それに構わず、俺は女の子を引きずりながら歩みは止めなかった。 「待ってくれ、下にシンが・・・息子がいるんだ」 「気持ちは分かるけど死んだら元も子もないだろ!とにかく先に行け――――――」 いきなり目の前が、真っ白になった。 音なのか衝撃なのか分からないものが耳の奥へと付き抜け、豪風にあおられて体が浮く。 そしてまたいきなり目の前が暗くなって、今度は激痛が体を襲う。 体の半分が摺ったように熱い。それに重み・・・くらんだ目を開けると女の子が上に被さっていた。 訳が分からないながら、俺はこの子を庇おうとしたらしい。 何かが当たったのか女の子の頬に傷ができ、服が傷んでいたがたいしたことはなさそうだった。 「おい・・・しっか・・・・・・っっ」 女の子の体を起こし、自分から引き剥がした腕で、もう一度引き寄せた。 「ひゃっ」 胸に勢いよく抱き込んだことに女の子が驚いて、身じろぐ。 「動くな!!」 それを俺は力で押さえつけて、俺の胸以外見せないようにした。 「目を閉じて・・・周りの景色を見ないようにしろ・・・」 俺の目の前にあるものを、見せないために。 「あの・・・なに?お父さんとお母さんは?おにいちゃん・・・」 「いいから言うとおりにしろ!!」 怒声にびくりと女の子の体が跳ね上がる。 女の子は言うとおりに従ったかもしれなかったけど、それでも絶対に見えないようにと手で目を覆う。 そのまま自分ごと立たせて、担いで、俺は崖下を滑り降りた。 笑う膝を気力で叱咤する。抜けそうな腰を何とかとどまらせる。 叫びたい。 叫びだしたい。 なんで、あんな・・・あんなんに・・・・・・あんなの・・・・・・! 後ろなんか振り返らない。振り返りたくなかった。 もう一度見る勇気なんて、俺にはなかった。 この子の両親は、目の前でばらばらに、粉々になって死んだ。 目を閉じるとさっきの光景が浮かび上がってきそうで、目を閉じれない。 バラバラになった手足が、さらに粉々に飛び散った肉片。 血溜まりに浮かんだ真っ黒く焦げた体。その間から見える真っ赤な内臓。 頭は砕けて、見る影もなくて。 唯一の残ったひとつの目玉がこっちを見ていて、白く濁ったそれに、本当に自分にもあるのかと思うほど、嫌悪感を思えた。 そして何より、そこにあるものを巻き込もうとする、『死』の気配が、体中を駆け巡って騒ぎ立てる。 あんなの、人の死に方じゃない。 他人の俺ですら、失神してしまいたかったのに、この子には絶対に見せられない。 それだけが今踏ん張る力をくれる。 手が震えていても、涙があふれてきても、手の力だけは絶対に緩めなかった。 たどり着いた瞬間に尻もちをついて止まった。もう足は力が出せなかった。 動悸も吐き気も無視して辺りを見回す。オーブ軍の人たちが集まってきてる。そして、さっき滑り降りている時に聞こえた叫び声の主を見つけた。 「お兄さんのところに、行って・・・」 自分の目を覆い、喘ぎながら俺はそう言って女の子を開放した。 女の子は身じろいで、一瞬間を置いてから去っていく気配を感じた。 中途半端だ。兄の傍に寄った時、あの子は惨状と事実を知るだろう。 結局彼女を突き落とす結果になるのは変わらない。 そして案の定、女の子の叫び声があがった。 ごめん。ごめんな。 俺が起こしたわけじゃないのに、謝りたくなった。 罪悪感が押し寄せて、また涙があふれた。 「君、大丈夫か・・・?はやく避難船に・・・」 近寄ってきた兵の人の手を払いのけて立ち上がる。 だめだ。俺には行くべきところがある。 逃げることはできない。 「・・・行くんだ・・・・」 抱き合う兄妹の横を過ぎて、司令部へと向かう。 また、空を見る。 その視線の先で、キラのモビルスーツが。『フリーダム』が、俺を見下ろしていた。 「なんで・・・」 目の前のモニターに移るの姿に、血の気が引いた。 呆然として、今がどういう状況かも分からなくなる。 何かが横を過ぎった気がするけど、まったく気にならなかった。 それよりも今あるこの事実の方が、僕の心を埋め尽くしていた。 なんで。なんでこんなところにいるの。 やっと帰せたと思ったのに。なんでここにいるの。 がまっすぐ僕を見上げている。僕もを呆然と見詰めている。 まるで二人だけしかいない世界。 触れられないもの同士が出会ったしまったような気分だ。 だけど、それは一瞬だった。 警告アラームが僕を現実へ引き戻し、連邦のモビルスーツが接近してくるのを告げる。 それに視界を回転させれば、完全に僕を狙っていた。 この進路だと、の側に当たる! そんなこと、絶対に許さない。 一瞬でバーサーク状態になり、そのモビルスーツをビームサーベルで沈黙させる。次にやってきたモビルスーツも一太刀で終わらせた。 あの子には指一本触れさせない。傷一つ負わせない。 その想いが僕の力をさらに増幅させた。 さっきまで苦戦していたことが嘘のようだ。 からがら逃げていくそれを目に止めず、辺りの戦闘が沈静したのを確認して、の目の前に『フリーダム』を下ろした。 も僕を見上げている。その姿があまりに儚くて、弱弱しくて。 こんな戦場で身一つでいるなんて、僕には死にに来たようにしか見えなかった。 もたもたしていれば的になる。 驚くを機械の手でやさしく掴んで、急いでコクピットに連れ込む。 飛び込ませた彼を力の限り抱きしめて、生を堪能しつつ、空へ舞い上がった。 土埃と硝煙と汗の匂い。その中からわずかにいつもの、僕を舞い上がらせ、安らぎを与えてくれるあの香りがした。 「キラ」 「後ろにいて」 ずっと抱きしめていたい衝動を振り切って指示すると、は素直に従った。 敵機が迫っている。範囲内すべての機体へ照準をつけ砲門すべてを駆使して攻撃する。 けれど、新型らしい2機はそれをかわし、僕へと迫ってくる。 「くっ」 がいるから、無茶はできない! この『フリーダム』もそうだけど、今だけは絶対に落とされる訳にはいかない。 防御に徹し始める僕を感じ取ったか、2機は連携らしくない連携で僕に集中してきた。 さらには下からも砲撃が飛んできて、完全に防戦一方にされる。 「っ」 攻撃の衝撃で、の息を呑む音が漏れる。 守らなきゃ。この子を。 ビームライフルを威嚇で放つ。 だけど、まったく離れてくれない。 鎌を持ったモビルスーツが迫る。避けきれない――――――― ビームシールドで難を逃れようとかざした時、さらに上空からビームが放たれた。 それは僕と相手の間を通り抜ける。 敵側ではないのか、慌てたように間合いを取り、相手も、そして僕も空を見た。 赤いモビルスーツ。 イージスと同じカラーのそれは、少し『フリーダム』に似ていた。 赤いモビルスーツは、僕の前に、まるで僕を庇うように落りてきた。 連邦のモビルスーツが迫る。赤いモビルスーツがそれらに向かって攻撃する。 さらに間合いを取らせて、向こう側はこっちを伺うようにしていた。 『こちら、ザフト軍特務隊―――――アスラン・ザラ』 通信から聞こえた声とその言葉に、僕は息を呑んだ。 『聞こえるか。『フリーダム』・・・・・・キラ・ヤマトだな?』 通信元は、目の前にある赤いモビルスーツからだ。 「・・・アスラン」 どうして、君がここに? 呆ける間もなく、敵モビルスーツが接近してくる。 僕たちはそれぞれ避け、攻撃した。 「どういうつもりだ!ザフトがこの戦闘に介入するのか」 通信はまだつないだままだ。僕は赤いモビルスーツのパイロット―――アスランへ向け言い放つ。 『軍からはこの戦闘に関して何も命令を受けていない』 すぐに答えが返ってきて、僕はまた疑問が浮かんだ。 『この介入は、俺個人の意思だ』 そして、胸が震えた。 感動しているのか、まだ疑っているのか。答えは付かないままに、それよりも今は目の前のこれをどうにかしなくちゃいけない。 (アスラン) 心の中で呼びかける。 友達。大切な友達。 そして、ずっと『敵』だった。 今まで戦ってきた苦い記憶が、今だけは頼もしい。 「」 攻撃をしながら、後ろへ呼びかける。 きっと介入したかっただろうに、黙ったままでいてくれたに感謝した。 「後で、全部話すから」 「・・絶対だぞ」 「うん」 もう、隠さない。隠せないよ。 アスランが介入してしばらく激戦を続けた後、敵側の主力3機の動きが突然鈍くなり、撤退していったことによって一時幕が下りた。 みんなが基地内へ戻り、敵側も海上外へ向かっていくのを見守りつつ、僕とアスランは空中で対峙していた。 「援護は感謝する」 通信を開いて、口調は固いまま言葉を紡ぐ。 「だが、その真意を改めて確認したい」 僕の問いに、アスランはコクピットから、姿を現して応えた。 『俺は、その機体、『フリーダム』奪還、あるいは破壊という命令を本国から受けている』 その目はまっすぐ、僕を見つめていて。 『だが、今俺はお前とその友軍に敵対する意思はない』 どこにも嘘や裏切りはなかった。 「アスラン・・・」 アスランらしい、真摯な瞳。僕が知っているアスラン。 『話がしたい。お前と』 「アスラン」 僕も、話したい。 話し合える状況に、やっとなれたんだ。 僕たちは。 アスランと一緒に、ゆっくりと基地へ降りていく。 その間に、ずっと止まらせていた体の震えが、溢れ出てきた。 「・・・キラ?」 の呼びかけに、体が反応した。 後ろから覗き込んでくる彼を自分の上に乗せて抱きしめる。強く。強く。自分の中に取り込んでしまいたい。 「帰れって、言ったのにっ」 「っ・・・」 肩口に顔を埋めて毒付く。は何か言いたそうに身をよじったけど、僕がそれを許さなかった。 「バカだ・・・!」 あの時、を見つけた時に感じた衝撃の大きさは、きっと誰にも分からない。 身一つで、煤けて、ぼろぼろに見えたこの子を見た時、どうしようなく心が騒ぎ出した。 今助けなければ、死んでしまうかと思った。 この子が死んだら、僕は生きていけないのに。 だから、家へ帰すためにあんなことをしたのに。 どうしてそれを分かってくれないんだろう。 そう思っているのに。 なのに、今僕はこの子がここにいることをどこかで喜んでいる。 手ががくがくと震えだす。それでも、絶対に手放したくなくて無理に力を入れて抱きしめる。 それに応えるように、僕の背中に腕が回った。おずおずと僕を抱きしめる腕。何よりも大切な人。 その鼓動が、今、僕の腕の中で脈打っている。 「――んっ・・・ふ・っ・・」 齧り付くように唇を合わせた。なりふりなんて構ってられなかった。 大切にしたい思いと、気持ちに裏切られた怒りで感情は爆発して。そのすべてを目の前のに注ぎ込んだ。 の固い体がだんだん弛緩していく。舌を架け合わせても抵抗はない。気を良くして咥内を十分に弄った後、舌を甘噛みした。 びくりと震える肩と喉が愛しい。 だけど、弛緩していくの体は次第に僕に寄りかかって、とうとう気を失ってしまった。 「?」 目を閉じて深く呼吸するを見る。 よく見れば、疲労がたまっていたのか目に隈ができ、頬も少しこけていた。 そこで、ようやく気付く。がどれだけ必死にここへやってきたのか。 「本当に、バカだ・・・」 でも嬉しい。嬉しくて、涙が止まらない。 頬と目尻と眉間に唇を寄せて、全身で掻き抱いた。 『お前の傍にいる』 の言葉が胸で溢れる。 「うん。一緒にいよう。ずっと、一緒」 あの時応えられなかった言葉を、眠りに落ちているへ呟いた。 もう僕は、この子を手放せない。 手放さない。 絶対に―――――――――――――――― |