真っ白な寝台の上で、姉妹は見つめあっていた。
いっそここが病室だったならば、どんなに良かっただろうか。
ここが病院で、祝福をすることができたなら、どれだけ良かっただろうか。

「ねえカリダ、本当に協力するの?」

不安な心情のまま、ヴィアは大切な妹に再び問いかけた。
この問いかけは、ずっと、ずっとしてきた。
この研究実験の被験者として、カリダが立候補してきたときから。

「姉さん、私は本気よ」

カリダの答えは、ただの一度も変わらなかった。
決して、身を案じる姉を非難するそれではない。ただ、純粋に覚悟と希望を抱いた者の、真摯な訴えだ。
妹の覚悟を、ヴィアは知っている。覆せないこともわかっている。
それでもこの研究は、被験者の身体にどれほどの影響を及ぼすのかわからないのだ。

「子供が欲しいなら、私が代理出産したっていいのよ?無理に体をいじって、またカリダの心の傷が増えたら」
「いいの。覚悟はできてる」

ヴィアの提案を、カリダは首を振って拒否した。

「産めるのなら、自分で産みたいの。たとえできる子供の血が私の遺伝子と違っても、あの人とは繋がってる。私はお腹を痛めて産むことができる」

自身の腹部を撫でさすり、失い、そしてまた復元されるだろう臓器を、その未来を思っているカリダの表情は。

「それが、どんなに幸せか」

とても、とても安らかに笑みを浮かべて、満たされていた。

「カリダ」
「でも、姉さんにとって、辛い研究の副産物だから」
「いいのっ!私は、あなたが幸せなら、いいのよ」

もう、何も言うことはできない。
これは、一度絶望の淵に立たされた妹のためになることだと、ヴィアは信じることにした。
例えそれが自分の子供を犠牲にしてしまった忌まわしいものの副産物だろうと。
それでも大切な妹のためなら、報われると思った。

「ありがとう。姉さん」

カリダが微笑んでくれている。
これからの未来を、希望とするために。

「きっと、きっとうまくいくわ」

そう言ってカリダはまた、腹部を優しく撫でた。












<愛憎の狭間の流露>













感じる。

忌まわしいこの建物に、怯え惑う子羊がいる。
なんという甘美か。なんと哀れで、愚かで愛しいのだろうか。
訪れた場所が一体どんなものか、知りもしないで。
ただ、身を守る為に入ったこの場所が、地獄と同等だと知りもしないで。

その無知なまま、ただ恐怖に震える子ウサギを、今すぐ捕えてしまいたい衝動にかられる。


ああ、その前に、思い知らさねばならない者たちがいる。


「さあ、遠慮せず来たまえ!始まりの場所へ!」

宿敵であるムウ・ラ・フラガと、同じ因縁を持った少年、キラ・ヤマト。
何も知らぬ彼らに知らしめねばならない。自分たちの世界がどんなものなのかを。
なにもない研究所を上に上がれば、そこにはおびただしい巨大なフラスコが、無辜の兄弟たちを眠らせて部屋を埋め尽くしている。

「――キラくん! 君にとってもここは生まれ故郷だろう?」
「引っかかるんじゃない!奴の言うことなんか、いちいち気にするな!」

歌う様にクルーゼは述懐する。
それをムウが遮るが、キラを混乱させるには十分だ。


ほの暗い部屋で、クルーゼは嗤った。忌々しい記憶すら、今のクルーゼには恍惚とさせる甘美な囁きになる。
ラボラトリーの管理室。そして、この施設のブラックボックスである場所。そこに踏み入れ、無造作に置かれたファイルを一瞥した。
確認し終え、ラボへと踏み入れたキラとムウへ銃撃し、ラボの光景に気を取られていたのをこちらに向ける。

「―――懐かしいね。キラくん」

クルーゼは、研究資料の揃った執務室からラボへ向かって呟いた。
室内に響くその声は、ラボだけでなく、その反対側にある通路へも届いているだろう。
ふと、何かが動き、カン、と軽い僅かな音が鳴ったのを、クルーゼは聞き逃さなかった。

「君はここを知っているはずだ」

笑いの止まらないクルーゼは、奥の通路へ向かいながら、僅かにドアが開いたラボへ向かってでたらめに撃った。


まだ来てもらっては困るのだ。
ここにいる彼にも、この喜劇を踊ってもらうために。


通路へと入り、もう一度発砲してから、物陰に隠れている少年へと近付く。

「そこにいるのは、わかっているよ」

物陰からは、何の反応もない。
だが、いる。
そこで震え、怯え、助けを求めて息を潜めている子羊がいるのだ。
その息遣いすら、クルーゼには手に取るように分かる。

因縁の関係であるムウの気配を感じ取ることと似ているが、また違う。
ムウはただその存在を抹消したいほどの感情が膨れ上がるが、少年の存在を知っても、小動物を愛でる程度の薄笑いしか浮かばない。

真綿でくるむ様に、優しく、やさしく。
そしてそのか細い呼吸を止めるためにじわじわと、手の平で玩びたい。

「出てこないというのなら、私から行こうか」

甘く、愛しい人を誘惑するように、クルーゼは囁いた。
隠れる場所などあってないこの場で、少年はクルーゼの姿を見た瞬間全身を強張らせた。

オーブで出会ったときと変わらない。紫の髪。大地と同じ色の幼い瞳。
まっすぐに見つめていた瞳が、今は恐怖に怯え揺らいでいる。

「君がここにいることは、私にとってどんな意味をもたらすのだろうね」
「あ・・・・っ」

影にぴたりと張り付いて、こちらを仰ぐ少年の顔は、クルーゼに、子供が求めていたお菓子を得たかのような至福を与えた。
そして、満たされるためには、この兄弟が揃わなければならない。

存在意義を奪った男。
その存在になるべきだった子供。
そして、その存在になりたかった子供。

そのすべてに、怨嗟を贈るために。

「なあ。君にわかるか? ・ヤマトくん」
「っ・・なんで、俺の名前、――――!!」

を立たせて、クルーゼは解りやすく銃口を突き付けた。
丸腰の、民間人である少年は、この程度で身動きが取れなくなる。

「お兄さん共々、聞いてもらおうか。君もまた、同じくここで生まれたものなのだから」

軽い身体を引き寄せて、クルーゼはうっそりと微笑んだ。











暗闇からの銃声に、部屋の中に入ったキラとムウさんは逃れるためにソファの陰へ隠れた。

「――ムウさんっ!」

銃弾が当たったのだろうか。「大丈夫ですか!?」とムウさんを心配するキラの声が聞こえる。そのすぐ後にキラを叱咤するムウさんの声がして、命の心配はなさそうだと窺えた。

「殺しはしないさ・・・」

俺の背後にいる人が、呟く。

「せっかくここまでおいで願ったんだ」

俺は、後ろから押されるままに進むしかなかった。
仮面をつけた、俺を拘束してただ話を聞けと引っ張ったこの人に。

「すべてを知ってもらうまではね」

まだ、陰に紛れて俺と、後ろの人の姿はキラ達には見えないんだろう。
仮面の男がファイルを投げつける。そこからいくつかの写真がばらまかれ、ラウさんが息をのんだ。

「――親父!?」
「え?」

一体。これは何なのだろう。
なんで、こんなことになっているんだ。

「君も知りたいだろう? 人の飽くなき欲望の果て―――進歩の名の下に、狂気の夢を追った愚か者たちの話を・・」

訳がわからないまま、とうとう陰から押し出された。

「君もまた、その息子なのだから」

そして、盾にされ、人質として、キラ達の目の前に立たされた。

「――っ!?」

仮面の男の話なんて、ほとんど頭に入っていない。
驚愕するキラから、言葉も出ないほど驚いているのが見えた。ラウさんも、まさかの事態に目を丸くさせている。

!? 何でこんなところにっ」
「彼を、死なせなくはないだろう?」

こめかみに銃口を突き付けられ、ひゅ、と身が凍る。
視線を動かせばすぐそこに見える銃口に、頭の中が真っ白になった。
その様子を見て、とても嬉しそうに笑う仮面の男が底知れなくて、怖くてたまらない。

「大丈夫。危害は加えんさ。ただ私の話を君たちに聞いてほしいだけだ」

「君にも」と耳元でささやかれてから、男は滔々と語り出した。
この研究施設の真相を。

「ここは禁断の聖域―――神を気取った、愚か者たちの夢の跡・・・」

俺がいるせいで、手が出せないキラとラウさんは、仮面の男の話を聞くしかなかった。
正直聞きたくなかった。こいつの言うことを真に受けるのは危険だと、心のどこかで感じていた。
なのに、どうしたって聞かざる負えないように、話を誘導してきた。

「君は・・・・君たちは、知っているかな。今の両親が、キラくんの本当の両親ではないということを」

頭が真っ白になった。
さっきまで、ひょっとしたらと考えていたこと。あの写真を、二人の子供を抱いている母親の写真を見たときから、可能性の一つと考えていた、だけどそうじゃないといいと考えていたことだ。

「・・なっ!?」
「貴様、何を・・・!?」

キラとラウさんも驚いている。
当たり前だ。そもそもまったく関係も関わりも解らないこの男がどうしてそんなことを知っているのか。
普通ならホラ話と一蹴することもできるのに、疑う証拠が今、目の前に散らばっている。

俺たちの反応を見て、男は声を落として呟く。

「―――だろうな。知っていれば、そんなふうに育つはずもない・・・・・・・・何の影もない・・・・普通の子供に・・・」

その声音が、なぜか羨ましいものを見るようなものに感じて、俺はつい仮面の男を伺い見た。
だが、すぐに気付いた男は、俺を拘束する力を込めて、関節を痛めつけてくる。呻くのはこらえられたが、痛みで歪む顔はさすがに抑えられなかった。

「アスランから名を聞いた時は、思いもしなかったのだがな。 君が彼だとは・・・てっきり死んだものだと思っていたよ。あの双子―――特に、君はね」

気色ばんで飛びかかろうとするキラたちを、仮面の男のセリフが引き留める。

「その生みの親であるヒビキ博士とともに、当時"ブルーコスモス"の最大の標的だったのだからな」


―――――――――――な・・・んだ・・・・・それ・・・・・・・


「なにをっ・・っ!?」
!!」


一体どういうことだと問いただそうとして、介入するなと言う様に再び銃口を突き付けられる。
今度は押し付けられてその硬い感触が直接伝わり、また全身が固まってしまう。

怖さでパニックに陥っているのと、キラがブルーコスモスに、あのコーディネイターを否定し、殲滅することを望んでいる奴らに狙われていたという事実からの混乱で、ほとんどまともに頭が動いていなかった。
なのに情報を欲しようとして、男の話から答えを探ろうと聞きいっている。

「だが、君は生き延び、成長し、戦火に身を投じてからもなお存在し続けている。・・・・なぜかな?」

この男が知っている真実を、俺は知りたいと思っている。

「それでは私のようなものでも、つい信じたくなってしまうじゃないか。彼らの見た狂気の夢を・・・!」
「僕がっ・・・僕がなんだって言うんです!? 貴方は何を知っているんだ!!」

キラが叫んだ。俺と同じく、キラも堪え切れなかったのだろう。
まるで我が意を得たとばかりに、男が笑ったのが気配でわかる。
そして男は、俺たちの疑問に答えた。

「君は、人類の夢・・・・最高のコーディネイター・・
 ―――――そんな願いの下に開発された、ヒビキ博士の人工子宮―――
 それによって生み出された、彼の息子。
 失敗に終わった兄弟たち―――数多の犠牲の果てに創り上げられた、唯一の成功体・・・
 ――――――――――――――――――それが、君だ」


言葉が、出てこなかった。
理解できるにはとても信じられず、理解したとしても受け入れるには酷いものだった。

「―――――っ・・・!」

キラ自身もそう感じているようで、言葉もなく固まっている。

「キラ!」

キラがどこかに行ってしまいそうで、繋ぎとめるために声を上げた。
だが、またしても仮面の男に身を引かれ、邪魔をするなと言う様に壁際へ引きまわされた。


「『僕は、僕の秘密を今明かそう・・・―――僕は、人の自然のままに、この世界に生まれたものではない』・・・」


仮面の男が語る言葉に擬視感を覚えた。
すぐに思い出したのは、やはり仮面の男の話のせいだった。

「受精卵の段階で、人為的な遺伝子操作を受けて生まれた者――――人類最初のコーディネーター、ジョージ・グレン。
 奴のもたらした混乱は、その後どこまでその闇を広げたと思う? 
 あれから人は、一体何を始めてしまったのか、知っているのかね?」

そうだ。あの言葉は、ジョージ・グレンだ。
始まりのコーディネイターとして生まれた人。
そして、彼の真実を世界に告げ、世界を二分させるきっかけを作ってしまった人。

「あらゆる容姿、あらゆる才能が、すべて金次第で自分のものになる。まるでアクセサリーのように。
 正確を期するなら、自分の子供の――と、言うべきかな?
 しかし、上手くいくばかりでもなかったのだ。
 遺伝子の組み換えは、簡単にはいかなかった。
 それは当然だろう。母体による影響。それによる不具合。積み重なれば、理想通りにいくことなど不可能だ。
 だが、誰もそう考えない。
 高い金を出して買った夢だ。
 誰だって叶えたい。誰だって壊したくはなかろう?」

楽しげに語る男は、まるでそれらの代弁者の様だった。
人の未来が自分の手で動かすことができると思った人間たちの声だ。

ジョージがはたしてどういった目的で自分の存在を世界に告げたのかはわからない。
彼のあずかり知らぬ所で、人は異質の希望を見いだし、暴走を始めた。

今では誰もが知っている歴史だ。

コーディネーターはそれを肯定的に語り、ナチュラルは否定的に語る。
オーブは比較的客観的に歴史を教えていた。
どうしようもない人の向上心。その結果、二分する対立となってしまったこと。
そして、それは悲しいことなのだと。

だがそう思う人間は、悲しいことに少なかった。

「君の父親は、最高の遺伝子を持つ者をそのままに生みだす為の研究に没頭した。
 そして、母胎そのものが不確定要素と謳い、安定した環境を作り出すことを思いついた」

人が生まれる行程に一手が入ったことで生まれた歪み。
戻ることができない歩み。
それを肯定させるために結果を求める。
それが素晴らしいことなのだと誰も疑わずに。
できると確信したからこそ。


「だから挑むのか!?」


仮面の男が声を荒げた。

「それが夢と望まれて、叶えるために? 人は、何を手に入れたいのだ? その手に!その夢の果てに!」

嘲るために。
嫌悪するために。
呪いのように。

男は口上する。

「知りたがり・・欲しがり・・やがてそれがなんだったのかも忘れ・・・命を大事といいながら玩び・・・・殺しあう・・!
 もっと、もっと遠くへ・・・さらなる高みを目指して・・・・もっと先へ・・・・」
「ほざくな!!」

男の狂言を止めるために、ムウさんが飛び出した。
男はそれを予期していたように飛び出した体に銃弾を撃ちこんだ。

「ムウさん!」
「何を知ったとて・・・何を手にしたとて変わらない!
 ――――最高だな、人は・・・!」

キラが物陰へムウさんを引き込む。
嘲笑する男の雰囲気は、狂っていた。

「そして妬み、憎み、殺しあうのさ!!」

何をどうすれば、どう生きれば、こんなにも捻れた感情が生まれるのだろうか。
どうしたら、こんなに人が狂ってしまえるのだろうか。

「ならば存分に殺しあうがいい!それが望みなら!」

恐怖と同じくらい、悲しくなっていた。
人を負そのものとしか考えられないこの人が、哀れだった。

「何をっ!貴様ごときが偉そうに!」
「私にはあるのだよ!この宇宙でただ一人―――――――すべての人類を裁く権利がな!!」

「ふざけるな、この野郎!」と、男に激昂するムウさんの声など、届いてはいないのだろう。
交ざりあわない水と油のような会話だった。

男は笑う。

口元に笑みを称えて、ラウさんに問い掛けた。

「覚えていないかな、ムウ。私と君は遠い過去――まだ戦場で出会う前、一度だけ会ったことがある」
「なんだと?」
「私は、己の死すら金で買えると思いあがった愚か者。
 貴様の父、アル・ダ・フラガの、出来そこないのクローンなのだからな!」

―――――――――クローン・・・・っ?

俺は思わず男を振り仰いでいた。
動揺は男以外の全員に走る。
一番に正気に戻って否定したのは、男の言葉をすべて否定しているラウさんだった。

「お、親父のクローンだと!? そんなお伽噺、誰が信じるか!」
「私も信じたくはないがな・・・・残念なことに事実でね」

忌まわしい事実を他人事のように肯定する男。
もはやそんなこと、この人には関係ないのだろう。


「間もなく最後の扉が開く!―――私が開く。
 そしてこの世界は終わる!この果てしなき欲望の世界は・・・!」


人の望み、歪んだ願望によって産み落とされてしまった男は、世界に破滅が起こることを望んでいる。


「そこで足掻く思いあがった者たち、―――その望みのままにな!」


すべての生きとし生けるものを滅ぼして、ようやくこの男は止まるのだろう。


こんな男1人のために。

こんな男のせいで、奪われるなんて。



「そんなこと・・・っ」
「させるものか!!」



キラと俺の声が重なった。
キラが割れたガラス片を投げ、怯んだ男に合わせて抜け業で男の拘束を解いて体当たりする。

「キラっ、っ!」

倒れた男を全身で拘束して、俺はキラを振り仰いだ。


「キラ、俺にかま――――」


ガツンッと、腹に衝撃が生まれた。

鳩尾を殴られ、怯んだ所をさらに蹴り飛ばされる。
自分の状況がまともに判断できず、中から襲う灼熱感に、頭もクラクラする。

目の前が暗くなり動けずにいる隙に、再び男が拘束し、頭を床に押しつけられた。

「―――――!!」
「クルーゼ!」
「貴様らだけで、何ができる!」


男は仮面をつけていなかった。
さっきの拍子に外れたのか。

朦朧とする視界に、男の輪郭が現れる。


「誰にも止められはしないさ! その宇宙を覆う憎しみの渦はな!」


暗く、重く輝いている瞳の、その周囲の皮膚が、老人のようだった。
声の張りやシルエットは30代くらいなのに、その部分だけが年老いてしまったような。

クローン、という意味が初めて現実感を呼ぶ。

!!」
「キラ!やめろ!」



ガウンッ



銃声と跳弾音が間近に聞こえた。
いつの間にかキラの手には拳銃があった。
男に狙いを定めて、青く、硬い表情のキラは今にも襲いかかりそうな様子だった。

――――バカキラ。オレなんて放って、早く逃げろよ!!

そんな願いも空しく、ふ、と、また喜色の吐息が落ちる。

「そんな狙いでは、私は殺せぬよ」

心底楽しそうに男は言い放つ。
キラを煽る目的か。心底面白いのか。

息を飲み、それでも気負わず銃口を向けるキラに、今度は声を滲ませて男は笑った。

「そんなにこの子供が大切かね?」

男の抑えている手に力がこもり、痛め付ける目的で俺の頭をぐりぐりと床に押し付けてくる。

「敵に捕まって、足手纏いにしかならないこの子供が、そんなに大切か?」

頭を締め付けられるような痛みを堪え、やり過ごすために身を固めれば、背中に乗られて、息が詰まった。

「あなたには分からない」

キラの声は硬い。
痛みの中で、視界が危うい俺にはもう、キラのシルエットも捉えるのが難しかった。


「そんなにいいものか」


男の呟きは、今まで聞いた中で一番まともな気がした。

耳だけが、俺に状況を知らせている。

憎しみよりも羨望の方が勝る呟きだった。


「生まれた意味すら知らずとも、君はただあるだけで愛される。そういうことか」


その感情は俺に向けられているのか。それともキラに?


「なら―――」


ぞわっと、悪寒が走る。


男の放つ殺気が一段と強くなった気がして、逃げようと身をよじるまえに、再び銃口を突き付けられた。


「この子がいなくなれば、君は私と同じところへ墜ちるのかな?」
「クルーゼ!!」


歪んだ視界の中でも、命の危険が周りをコマ送りにする。

夢のなかのように、頭は動いているのに身体がまともに応えない。
動けない。


キラが身を乗り出す。
ラウさんが、キラから拳銃を奪い、構えようとする。


万力に締め付けられる感覚はまだ続いている。


目の前の銃口が視界から消え、爆音と衝撃と灼熱感が全身を覆った。









目の前は、真っ赤だった。
















2012.7.19