世界に色などない。 空は薄くにごり、人々は色褪せている。 植物も、動物も、景観も、全て同じだ。 その何もない世界に、たった一つ、色を与えてくれるもの。 忘れていたものを、思い出させてくれた人。 それがとても魅力的で。 幸福という名の甘美な誘惑を与えてくれて。 だからこそ、僕はそれを傷付けてしまった。 「なぜ、お前は受け入れない」 静かに開いた扉。若草のような緑の髪。 「知らない訳がないだろう?あいつの心を。お前のこころを」 はらはらと絶え間なく流れ伝う涙。 その雫をC.Cはすくい取り、僕へまざまざと見せ付けた。 「これがお前だ。お前の心そのものだ。お前もそれをわかっているのだろう?」 「知らない・・・・勝手に流れてきたものだ」 それから目を背け、頭を振る。 「強情もここまで来ると、もはや病気だな」 呆れ返るC.Cは、腰に手を添えて濡れた手をはらった。 「お前は、手に入ったものすら自分のものでないと捨てるのか?」 「なにを・・・?」 「分からないふりをしているばかりでは、結局何も得られないぞ」 いらない。 得たいものなんて、ない。 「僕には、資格がない」 求めてはいけないものが、あるんだ。 <こころのありか> 2 ガツッ 陶器の洗面台に、拳を叩きつける。 何度も何度も、薄い筋肉しかない拳は、骨まで衝撃を防ぎきれず、腱も、靭帯も、次第に皮膚まで傷付いて。 白く滑らかな、衝撃に脆いそれにヒビが入り、さらに拳を傷つけて辺りを血の赤へ変えていく。 それでも、煮え切らない腹の虫は、収まりそうになかった。 振り回されることを嫌う自分が振り回されいることが。それでも、その相手へと焦がれてやまないその感情が腹立たしかった。 そしてそれ以上に・・・ 「何故だ・・・っ」 ルルーシュは呟く。瞳を目の前に映し出されている自分へと向ける。 その右目は紅く充血し、瞳孔には翼を広げた鳥を省略させたような紋様が刻まれている。 彼と同じ物を持っている証。 孤独な王となった証。 彼が、そして自分が。 だが、自分は今、ここにいるのだ。 ギアスを手に入れても、ルルーシュは孤独になったとは思っていなかった。 隠していることもある。 人に言えない事などたくさんある。 嘘をついて生きてきた人生だ。そうしなければ生きていけなかった。 それでもルルーシュは孤独などではない。 理解者も、協力者もいるのだ。 そして、心から互いを認め合い、支えあっていける人を、見つけたのだ。 見つけられたと、思ったのだ。 「ライっ」 俺はお前のなんなんだっ!! 惹かれたきっかけなんて忘れてしまった。 警戒しなければと見張り続けるうち、いつしか彼自身を知りたいと思った。 有能だと分かれば、手に入れたいと思った。 自分の妹を可愛がってくれている様子を見れば、もしもの時は任せられると思った。 お茶を飲み、食事をし、他愛もない話をして、チェスをする。そんな風に彼と共に過ごす日々が大切になった。 彼が取り戻した記憶を教えてくれた時、胸の奥で喜び震えていた。 誰も知らない彼の秘密の共有者として、数少ない自分の秘密を知るものとして、お互いが確かに必要とするものだと感じた。 傍にいないことを考えることこそ、苦痛だった。 人に囚われるということの意味を、ルルーシュは初めて知った。 ただの一挙一動が、どんな作戦よりも処理が難しい。 彼の想いを知りたいと、何度も何度も試した。 自分をどう想っているのかを知りたかった。 試して、データを取って、統計まで出して。 慎重に慎重に、ライがルルーシュを好きだという証拠を、探しまわって。 それでも、ライの心は霞となって捉えることができない。 ライが、自分を好意を抱いている者のテリトリーに入れていることは分かっていた。 でなければ黒の騎士団でのことも、同居も、幾度となくしかけた抱擁もキスも、受け入れるわけがない。 だからルルーシュは彼の最も大切な人としていられている思っていた。 勘違いしていた。 スザクとのあの場面を見なければ。 「ルルーシュ」 血が止まらない拳を握り締めて、ルルーシュは鏡の向こうを睨み付けた。 背後に立っているのは、今最も殺したい男だ。 「何の用だ。ライバル宣言でもしに来たか?」 「謝りたくて。君にも。ライにも」 鏡越しに嘲笑うルルーシュに、スザクはきつく眉を寄せてそう言った。 そして、あの時の行動の意味を、スザクは懇切丁寧にルルーシュに話し出した。 だが、ルルーシュにはそんなことどうでも良かった。 ライがスザクを受け入れたということ以外に重要なことなど何もなかった。 「気が済むまで殴ってくれていい。どんな理由があっても、してはいけなかった」 殴りたい。この男を。 衝動のままに痛めつけて傷つけて動かなくなるまで。 だが。 「お前へぶつけた所で、何一つ得られない」 一番欲しいもの――ライの心を自分のものにすることなどできる訳がない。 「ああ、すっかり忘れていた。ユーフェミア皇女様がお呼びだ。まったく、この私を呼び出しに使うなどあの方位だ」 ゼロの仮面を被り、マントの下に血塗れた手を隠して、ルルーシュは軽い口調でそう言ってスザクの横をすり抜ける。 「ルルー・・・」 「さっさと行くぞ。今のお前と二人きりでいたくない」 許せるわけがない。 奪う気だったにしても、そうでなくても。許してなどやるものか。 スザクの静止も省みず、ルルーシュはさっさとその場を立ち去った。 いまだ煮えくり返る内側は、どうやっても収まりそうになかった。 ***** 「今日から、しばらく留守にする」 朝、もはや日課となった二人で作る朝食の最中に切り出したルルーシュに、ライは一瞬動きを止めた。 卵をかき混ぜている時でよかった。もし調味料を入れている最中だったら、今日のオムレツは味が酷いことになっていただろう。 そんなライを見ずにルルーシュは淡々と話を続ける。 「キョウト六家が『日本』へ本格的に協力すると声明があった。その歓待に俺が代表として動くことになった」 「そうなのか。僕は行かなくていいのか?」 黒の騎士団の参謀であり、ゼロの片腕と評される自分も行くのなら、もっと前にそういう指示があったはず。 ライの問いにルルーシュは横顔で頷き、ライの持っているボールへトマトを投入した。 「ああ。お前には残ってユフィのサポートを頼む。まだまだ頼りない副総督様だからな」 「なら、君の護衛は?」 「スザクに来てもらう。もちろん他にも何人か連れていく」 てきぱきと調理作業を分担しつつ、二人は今後の業務の簡単な話を続けた。出来上がっていく料理がテーブルへと運ばれ、いつの間にか起きていたC.C と三人で食卓に並ぶ。 「そう、か。気を付けて行ってくれ」 寂しい。 ふと、ライはそう感じた。 だがそれは去り際に別れを告げる時のようなものと思って、特に気にしなかった。 「…ライ」 そんなライを見て、ルルーシュはじっとライを見る。 その目は何かを訴えている様で、昨日のことが浮かび上がってライは居た堪れなくなった。 まだあの事は、ライもルルーシュも終わっているとは思っていなかった。 それでも、今は、考えたくない。 「なんでもない。さて、さっさと食べるか」 が、ライが目を放す前に、ルルーシュの方から視線が逸れた。 小さな笑みがルルーシュの口元にできている。 「ああ。食べよう」 ライも頷き、ふわふわととろけるオムレツを口にした。 何も追求してこないルルーシュに感謝して。 美しい庭園。 そこから見える白い宮廷。 そして迎えてくれる、愛しい人たち。 「お兄さまっ」 「リリエーレン」 おかえりなさい、と言ってくれる小さな愛しい存在を軽く抱きしめると、少女はさらに嬉しそうに首を締め付けてきて、息苦しくなる。 「まぁリリ。お兄さまが困っているわ」 「母さま」 それを優しく静止する声に首の締め付けが弱まり、会釈する。 「母上、ただいま戻りました」 「お帰りなさい。さあ、顔をよく見せて」 近付く美しい人の顔を覗き込むように屈むと、両頬に手を添えられ、羽毛に触れるような感触が頬に落ちる。 それに「ああ!」と抗議の声が下から上げられた。 「母さまずるいですっ私が先にお兄さまにしたかったのに…」 「あら。先に迎えた貴女の行動が遅かったからでしょう?」 くすくすと口元に手を添えて笑う人と、それに頬を膨らませて悔しそうに見上げる可愛い人。 ああ、幸せだ。 だがその世界は、すぐに崩れ落ちた。 こちらに向けられている笑顔が、頭から、足元から塗り染められ始める。 愛しい存在が、ゆっくりと染め上げられる。 紅く 赤く 朱く 銅く 幸せな時間を全て消し去ろうとするそれ。 「やめて・・・」 その塗りつぶしを阻止しようと手を仰いでもそれはどこまでも侵食していく。 そして 朽ちて 腐ちて 終ちていく 「やめてくれ・・・っ」 すべてを なにもかも 「やめてくれ!!」 残されるのは己のみ 「嫌だ!!」 それは、耐え難い苦痛だった。 全てが崩壊する世界と、隔絶された自分。 スクリーンの映像のように終わっていく世界。 それは確かにすべてを奪い去っていく。 「置いていかないでくれっ!!!」 必死になって一歩を踏み出し、世界へと手を伸ばす。 世界はその指先に触れ 砂塵となって消えた。 「――――っぁ」 触れたせいで、世界の全ては終わった。 「あ・・・・ぁっ・・・」 自分が終わらせたのだ。 この手で。 絶叫が、喉の奥から迸った。
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